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2024年9月15日説教全文「レプトン銅貨に過ぎなくても」牧師:西脇慎一

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〇マルコによる福音書 12章41~44節

イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」。

〇説教「 レプトン銅貨に過ぎなくても 」

みなさん、おはようございます。オンラインで礼拝されている方もおはようございます。残暑厳しい日が続いていますが、今週も皆さんの心と体のご健康が守られますように。日々の歩みの上に主の恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りしています。

本日の礼拝は、「敬老の日」主日礼拝として守ります。「敬老」という言葉には、老人を敬うという意味合いを感じますが、特別にその日を制定しなくても、年長者を敬うこと、感謝すること、労わる気持ちをもつということはごく普通のことのように思います。それは、年長者の方々のこれまでの歩みやご苦労によって「子の世代、孫の世代」が繋がっているからです。なので、皆さまにまず感謝を伝え、これからの時も心安らかに体の健康が守られ、お元気でお過ごしいただけますようにお祈りしたいと思います。
しかし実は「敬老の日」の制定には、それ以外にも理由がありました。実は「敬老の日」の起源については諸説あるようですが、一般的には1947年9月15日に、兵庫県多可郡野間谷町で行われた「敬老会」から始まったと言われます。その趣旨は「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」というものでした。つまり、敬うだけではなく、高齢者も子どもも孫も全ての世代が共に生きていける社会を作るのが、敬老の日の狙いだと言えるでしょう。そうであればこの教会においても、皆さまのこれまで蓄えた知恵あるいは信仰を分かち合っていただき、すべての世代が共に集える教会を立て上げて行きたいと願いますので、どうぞよろしくお願いします。
ちなみにその時、高齢者の対象とされたのは55歳以上の人であったようです。現在、WHO(世界保健機関)では高齢者というと65歳以上の方々を指すようです。しかし現代日本の感覚として言うと65歳もまだまだ若いという印象です。最近の自治体などで行われる敬老会では75歳以上の方が対象とされていたようですが、現在はさらに高齢化が進み、その基準を80歳にまで上げる町内会も増えてきたということです。まさに生涯現役という感じになってきています。

実は聖書においては、高齢者は長老と呼ばれ、神さまの恵みの内に生かされ、民衆のリーダーとして人々の見本になるような存在。あるいは若い人々の信仰のモデルとなるような存在であります。わたしは最近、あるご年配の教会員とお話しすることがありました。その方はご高齢と体調の不具合によりなかなか教会に来られなくなっています。しかしお会いしに伺うと、とても喜んで下さり、これまでの歩みの中で培ってきた信仰のお話を聞かせて下さったり、この教会の昔の出来事を教えていただくことがあります。色々な出来事があったけれど、神さまが全てを守っていてくださっていることをお聞きして、その真のまっすぐな信仰姿勢に逆に私の方が励まされることがありました。
もちろん、人それぞれ歩みは異なります。振り返ってみれば大変な人生を歩んでこられた方もおられるでしょう。特にこの時代の移り変わりは目まぐるしいもので、紆余曲折の中、自分の思ったようにならなかったという方もおられるでしょう。しかし、振り返ってみるならば、そのような時にも神さまが共にいて下さり、その足を支え導き、今日までその歩みを守ってくださったのではないかと思います。
今日はそういう方々に向けて、「フットプリンツ(足跡)」という詩をお読みしたいと思います。

「ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません」。
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。足跡がひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていた」。

この詩は、カナダのマーガレット F.パワーズさんと言う方がご主人のために書いた詩だと言われています。ご主人のポール・パワーズさんは、幼い頃から父親に殴る蹴るの虐待を受けて育ちました。そのため7歳の時に最愛の母を亡くすと、非行に走ったそうです。近所の子どもたちと万引きをしたり、集団強盗をしたり、12歳の時には殺人事件にまで関わってしまったそうです。彼は少年院、刑務所を転々とする少年時代を過ごしました。この時、彼の心にどのような思いがあったのかは詳しくは分かりません。しかし出所後、老年のクリスチャン夫妻のところでお世話になったことがきっかけで、彼は心から自分の罪を悔い改めて、クリスチャンになる決心をしました。そして最終的に彼は牧師になったそうです。一方、小学校教師だったマーガレットさんは、不運にも落雷事故に遭い、体調不良のため仕事は辞めざるを得ない状態に陥っていました。そういう二人が教会で出会い、交際を経て、互いに愛し合うようになったのです。

ポールさんがマーガレットさんにプロポーズした日、二人は海辺のほとりを歩きながら、将来のことを語り合っていました。そろそろ戻ろうと思い、砂浜を折り返そうとした時に、二人の足跡が波でかき消され、一人分しか残っていないことに気づきました。不安にかられたマーガレットさんはポールさんにつぶやきました。「これは神様が二人を祝福してくれない暗示かもしれない」ポールさんは言います。「いや、これは二人は一つになって人生を歩んでいける証拠だ」。けれども、マーガレットさんはまだ不安でした。「もし二人で解決できない困難がやってきたら、どうなるの」。「その時こそ、主が私たち二人を背負い、抱いて下さる時だ。主に対する信仰と信頼を持ち続ける限りはね」。マーガレットさんの不安は次第に安心と信頼に変わっていったそうです。詩を書くのが大好きだったマーガレットさんは、その夜、なぎさでの出来事を詩に書きとめました。これが「フットプリンツ(足跡)」の由来です。

この詩は、作者とは違う状況ではあったとしても私たちそれぞれの人生に置き換えて読むことができます。同じように結婚を控えている方もおられるでしょう。或いはこれまでの人生を振り返る段階の方もおられるでしょう。人生には色々なことが起こります。先も見通せません。自分の力だけではどうしようもできないことだって起こります。不安です。振り返ってみたら「なんで?」「こんなはずじゃなかったのに?」と思うこともあるでしょう。人生の最も苦しい時というのは、夫婦関係も家族関係も人間関係もうまくいかず、仕事もキャリアも将来設計も、まったくわからなくなる時もあります。最愛の家族を失うこともあります。病気で入院することもあるでしょう。私たちはそういう時に、神が私を裁いたのだ。わたしは神にさえ見捨てられたと思うかもしれません。しかし、神さまはそういうときにこそ、私たちに近くいてくださる方であるのです。あなたは一人ではない。わたしはあなたを抱えてそういう時を守ってきたのだ。そういう神が共におられる。この神の存在。この神への信仰は、そのようなときに私たちの歩みを支える希望になるのです。

今日の聖書個所に登場するまずしいやもめも、このフットプリンツという詩のように、苦しい時期を歩んだ経験があったことが分かります。彼女についての情報はあまり多くありません。しかし「貧しいやもめ」という言葉に色々なことが明らかにされています。彼女が「やもめ」ということは、ご主人を先に失った女性であるということです。今日礼拝にお集まりの方の中にもご主人を先に天に送られた方がおられると思います。或いは奥さまを先に天に送られた方もおられることでしょう。色々な苦しみや痛みがあると思います。現代社会でも長年連れ添った方とお別れをすることはとてもつらいことです。皆さまの心の守りのためにお祈りをしたいと思います。親しい連れ合いが召された後、また私たちには色々な変化が起こります。時に大変な状況はありますが、当時のユダヤ社会は家父長制という男性中心の社会構造でありましたので、夫を失うということは女性にとって立場的にも経済的にも大変な状態になることでした。
やもめの方はいくつぐらいの方だったのでしょうか。それは分かりませんが、本来であれば、彼女は神殿で献金を捧げるどころか、生活のための仕事をするか、様々な支援を受ける必要があったと思います。しかし、彼女は神殿で献金をしたのです。しかも、それは彼女が持っている生活費の全てレプトン銅貨二枚であったのです。レプトン銅貨は、当時の一日分の生活費に値するデナリオン銀貨のおよそ100分の一の金額です。今だったら百円玉二枚くらいでしょうか。
しかし、イエスは彼女の献金を見て、「この貧しいやもめは賽銭箱に入れている人の中で誰よりも多く入れた」と言うのです。神殿には色々な人が来ていました。聖書にあるように、当時は過越祭というイスラエルの中でも特に大きなお祭りの期間中でしたから、これみよがしに箔をつけるために献げる大金持ちもいたと思います。献げた額で言えば、この貧しいやもめの献金なんてたかが知れているものです。しかし、イエスの目、神の目から見ると、有り余る中から捧げたものよりも、自分に必要なものを神に献げる方がよっぽど大切なことなのだと言うことでしょう。
でも、実は私はここにひっかかりを覚えるのです。イエスは、生活に困窮している女性のなけなしの献金を喜ばれる方なのでしょうか。言い換えればイエスは、自分に与えられている全部を献げる姿に感心し、それを奨励しているのだとしたら、私たちはこれを受け取るのがなかなか難しいと思うのです。何故ならばすべてを献げることが信仰姿勢として素晴らしいと評価されるならば、これは自分の生活、自分の家庭を犠牲にして神さまに献げることに直結してしまいます。これだと近年盛んに言われているカルトの献金問題となんら変わらない事柄になってしまいかねません。
果たしてイエスはそんな信仰姿勢を私たちに要求されているのでしょうか。わたしはそうではないと思います。むしろイエスさまなら、このお金を全て捧げてしまったら明日からの生活が立ち行かなくなるような方が献金をしたいと言ったら、「いやいや、その気持ちだけで十分だ。神さまはその思いをこそ喜んでいるのだから」と言われる方だと信じているからです。

しかしここではイエスはそう言いませんでした。では、イエスは彼女の献金に何を見たのでしょうか。それは恐らく、献金の量でもすべてを献げるという思いでもなく、むしろ彼女自身が神さまにどのように委ねているかという、そのような思いであったのではないかと思うのです。

「献金」というものは、神さまへも献げ物である一方で、神に対する自分たちの思いを委ねるものであります。そういう意味では、金持たちは神さまからの与えられた恵みに感謝して献げ物をしていたと言えるでしょう。もちろん、それは尊ばれる出来事です。しかしながらそれより大切なのは、神さまに献げる思いなのです。彼女は有り余る財産は持ち合わせていませんでした。しかし、彼女は自分自身の神への思いを込めて持ち合わせをすべて神に捧げたのです。これは、神の守りが自分自身にあることを信じていたからこそできた事柄だったのではないかと思います。そして、イエスはその彼女の思いを、信仰姿勢として評価したのではないかと思うのです。

私たちは、通常、いいことがおきると感謝します。また神さまの守りを願うためにも献げ物をすることがあるかもしれません。しかし、悪いことが起きると、神さまに委ねる思いも薄れることがあります。そうではないのです。神は良い時も悪い時も共にいて下さり、常に私を守っていてくださる。お連れ合いを失い、大変なことは今も続いている。神を恨んだこともあったかもしれません。しかし、神はそういうささくれ立った私の心もしっかり包んで下さり、心を守ってくださっている。今は確かに困窮しているかもしれない。しかし、神はそれでも、自分のことを守ってくださる。このような信仰の中で、彼女は神に献げ、また自分の思いを神に委ねたのではないでしょうか。献げ物とは、自分を守ってくださる神への交換条件ではありません。献金をする方引き換えに恵みをいただくのではないのです。増して救いを得るための代価でもありません。むしろ、神が私たちに寄り添い支えてくださる。これを信じ感謝することなのです。そしてそれは、これまでの礼拝で私たちが確認してきたように、正しさを盾にイエスを責めてくる人々とは異なり、ただ純粋に神を信じ、その神の私たちの考えを超えた憐れみに生かされるということなのです。神は、そういう彼女の心を受け止め、言い換えればあるがままを受け止められ、恵みを供えられたのではないでしょうか。いかなる時も、神を信じ、神に委ね、神の支えの中を歩んでいく。これが、私たちの信仰生活なのです。そのように守りを与えてくださる主に、わたしたちもあるがままの祈りを献げて参りましょう。

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