「主イエスはろばの子に乗って」
エルサレムは城塞都市でした。ユダヤ全土を支配するローマ総督は軍馬にまたがり、訓練された多くの兵卒を率いてエルサレムに入城しました。ローマに抵抗することの無意味さを示すためでした。一方、主イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入城されたとマタイ福音書21章に記されています。それは旧約の預言「見よ、お前
エルサレムは城塞都市でした。ユダヤ全土を支配するローマ総督は軍馬にまたがり、訓練された多くの兵卒を率いてエルサレムに入城しました。ローマに抵抗することの無意味さを示すためでした。一方、主イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入城されたとマタイ福音書21章に記されています。それは旧約の預言「見よ、お前
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書によると、主イエスは十字架上で七つの言葉を語られました。福音書が四つあるからこそ私たちは十字架上の主イエスの思いをより深く知ることができるのです。1、父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。2、はっきり言っておくが、あなたは今日わ
神学者アリスター・マクグラスの『十字架の謎』に次のような言葉があります。アウグスティヌスが言ったように、「もし、あなたに理解できるなら、それは神ではない」のです。アウグスティヌスの態度は、啓蒙主義の原理だった「もし理解できな いなら、それは誤っている」と対照的でしょう。十字架は神の、より偉大な
主イエスの復活、それは人間の理性では信じがたいことでしたが、キリストを受け入れた者には神の存在を啓示する最上のしるしとして理解されました。また私たちに対して示された主イエスの愛を、父なる神がよしとなさったことのしるしとして、さらに父なる神に信頼し続けて生きた主イエスの姿の承認でもありました。彼らは主
私の本棚に『ことばの力』という同タイトルの本が3冊あります。詩人大岡信氏、詩人川崎洋氏、そして言語学者外山滋比古氏のものです。ほかにも似た題名の本が多くあります。大岡氏から学んだことは、洋の東西を問わず「言葉は本来最高の贈り物だった」ということ。川崎氏は父の急死で西南学院大学を中退された方です。
キリスト降誕物語はマタイ福音書とルカ福音書に記されています。ルカ福音書ではベツレヘムの羊飼いたちが幼子のもとに、マタイでは東方の博士たちが来訪します。ルカはこの幼子キリストの救いは社会の底辺にまで及ぶことを告げ、マタイは異邦人にまで及ぶことを告げているのです。まさにこの幼子キリストこそ全世界に救いを
父なる神よ、過ぎ去った日々を思い起こします。幸福な日々を与えられ、新しいことを学び、新しい友を与えられ、古き友と親しみました。今、思い起こし、喜びに満ちて感謝を捧げます。困難なことに直面し、苦しみ、しかしそれによって賢くなり、失敗や失望を一つ一つ味わって謙遜な心になり、危険に出会って私たちがあ
父なる神よ、進歩のない生活を送ることがないようにしてください。経験から学んで、同じ過ちを繰り返さず、同じ誘惑に陥らず、同じ過ちによって自分や人々の生活を損なうことがないようにしてください。常に上を見上げ、常に前に進み、年毎に私たちの生活が御旨に近づくものとなるようにしてください。この年、勤勉に
将棋棋士加藤一二三氏は熱心なカトリックの信徒です。著書『老いと勝負と信仰』の中で祈りについて次のように記しています。合理的なことを求めがちな今の世の中にあっては、祈るなんて古臭いものだとお感じになるかもしれませんが、アビラの聖テレジアは祈りを「神との親しい友としての交わり」、聖アウグスティヌスは
筑紫野南キリスト教会が教会堂を建てた時、全教会員がそれぞれ小石に自分の名前を書き、それを建物の基礎部分に置いたそうです。その背景にはマタイ16:18のみ言葉があったのでしょう。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私のデス