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わたしは羊の門である

ヨハネ福音書1~12章は人々に対する主イエスの啓示、13~17、20~21章は弟子たちに対する啓示です。神学者G・タイセンは、それぞれに「段階解釈学」が見られる、つまり主の言葉によって低い段階からより高い段階へと育っていくと言うのです。ヨハネ福音書は他の福音書同様イエスのことを「キリスト」「神の

思い煩うのはやめなさい

フィリピの信徒への手紙は使徒パウロが紀元54四年頃エフェソの獄中からフィリピの教会に宛てて書いた手紙です。厳しい状況に置かれながらパウロは繰り返し「喜びなさい」(2:18、3:1、4:4:4)と兄弟姉妹を励ますのです。また次のようにも勧めています。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につ

2月8日のことば

「あの町に正しい者が50人いるとしても・・・お赦しにならないのですか」(創世記18:24)罪に満ちたソドムの滅びを予告された神に、アブラハムは50人、45人、40人、30人、20人、10人と執拗に交渉します。神は「その10人のためにわたしは滅ぼさない」と言われ、ついに甥のロト一家は救い出されるので

牧師と執事の協働2016.1.24

総会の構成員は教会員としての義務を果たしている現在会員で、その定足数は教会の規則によって定められています。総会は事柄に応じて計画の立案や決定をある人々に委ねます。ですから、執事の選出は総会の大切な事項と言わなければなりません。総会は、聖霊の導きを祈り求めて選挙し、選出された執事を信頼して、職務を

ちょうど良い時に2016.1.17

宗教改革者ルターは徹底した聖書の学びをしました。聖書の言葉の行間注と欄外注を「グロッセ」と言い、まとまった講解を「スコリエ」と言います。彼の『ローマ書講義』を読むと、聖書の言葉に集中しているルターの息遣いが伝わってくるような気がします。ローマ9:15の御言葉は次のとおりです。神はモーセに「わたし

礼拝は最高の喜び2016.1.31

身よ、兄弟(姉妹)が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)詩編133編には「都の上る歌」と見出しがついています。ある神学者はこの詩編に「家族愛」という題をつけていますが、私はもっと広く理解し、神の家族を詠った詩だと理解しています。主イエスは弟子たちをご自分のもとに

聖書への集中

来年2017年はルターの宗教改革から500年です。ルター派の教会にとってはもちろん、プロテスタント諸教派にとっても大切な記念の年になることでしょう。私は今年一年間ルターの著作を集中的に読みたいと願っています。ルターの生涯で印象的なのは聖書への集中ということです。「聖書のみ」、それがルターの一貫し

「約束の上に憩う」

「初夢」は「新年最初に見る夢」です。もし見たい夢を選択できるなら、私は創世記28:10~22の「ヤコブの夢」を見たいと思います。兄エサウが受け継ぐことになっていた家督をだまし取ったヤコブは、兄の怒りを逃れて叔父ラバンのもとに行くことになり、途中の荒野で一つの夢を見ました。それは天から彼が横たわる地に

神の言葉に立つ

戦後70年の夏を特別な思いで迎えました。太平洋戦争に敗れて70年たって、私たちは平和をつくり出すことができているか、傷つけた国や人たちと和解できているか、問いなおす時だと思います。首相の談話が注目されました。「心からのおわび」「植民地支配と侵略」といった表現が盛り込まれるかが焦点でした。違憲とも

いのちの尊さ、いのちを守る

日野原重明先生の『十代のきみたちへ―ぜひ読んでほしい憲法の本』(富山房インターナショナル)を読みました。先生は現在103才。いのちが軽んじられた時代を生きてきた先生が、「いのちを守る」という一点で若者に語り続ける姿に心を打たれます。先生は日本国憲法について「世界にも類のない『いのちを守る』憲法」だと

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