2月12日のみことば

「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった」(マタイ14:23)

主イエスはしばしば「祈るために」群衆たちから、弟子たちからも離れた一人の時間、父なる神と親しく対話する時間を持たれました。主イエスにとって最も充実した大切な時間だったと思います。ヘンリー・ナーウェンは「沈黙なくして語られる言葉は、その意味を失うこと、聞くことなくして語られる言葉は、もはや癒す力がない」と記しています。主は父なる神の言葉にじっと耳を傾け、その命に満たされていたのです。私たちもそうしたいと切に願います。

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