「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」(マタイ6:28)
「終わりに臨みて謡ういわく、学問は底の知れざる技芸なり、憂鬱は花を忘れし病気なり、わが庭は研究所の名に恥じず、綿密に見れば見るほど新事実、新事実積り積りてわが知識、何よりも貴き宝持つ身には、富も誉れも願わざりけり」「朝な夕なに草木を友とすれば、淋しいひまもない」(牧野富太郎自叙伝)。もし彼が主イエスの時代、あのガリラヤ湖畔にいたら、主の山上の説教に耳を傾けながら、足元に咲く植物を採集していたのではと想像します。