8月1日のみことば

「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」(マタイ5:4)

主イエスが山上の説教を「貧しい人々」「悲しむ人々」という言葉でお始めになったのはなぜでしょうか。カトリック司祭ジョン・ディアは、それが多くの人々に共通の経験であり、「神の視点からすれば神の臨在への入り口だからだ」と言っています。確かに私たちは日々の生活でいろいろなものに欠乏しています。食べ物があるかもしれませんが、心に沸き起こる生き生きとした喜びはないかもしれません。この欠乏こそ私たちの心が神に向かう入り口なのです。

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