8月20日のみことば

「主の言葉がわたしに臨んだ。『エレミヤよ、何が見えるか。』わたしは答えた。『アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。』」(エレミヤ1:11)

神は時々私たちに見ること聞くことの訓練をなさるようです。「何が見えるか」(1:11、13)。どうも私たちはせっかちで、一つのものを見続けることが苦手、すぐ別のものに注意が移ってしまうのです。「私たちは小さな事物のもとに自分の思考を3分間留め、それと知り合いになり、それを吟味することができるように統御すべきでしょう。なにしろ事物こそ教師なのですから」(イェルク・ツィンク)。「事物はたえず人間に話しかけようとしているんだ。それを聞くまいとしているのは人間である」(遠藤周作氏『満潮の時刻』)。

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