6月24日のみことば

「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる」(詩篇24:3~5)

神の前に立つのは、裁かれるためか、祝福を受けるためのいずれかである。使徒パウロは「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」(ローマ14:10)と言っている。もし私たちが罪を犯しているなら恐れるべきだし、速やかに悔い改めるべきだ。しかし私たちが「潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人」であるなら、安心して神の前に出ることができる。私たちに与えられるのは、祝福であり恵みであるのだから。

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