「わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』」(イザヤ6:8)
若きイザヤは自信家でも出しゃばりでもありません。彼が「わたしを遣わしてください」と申し出たのは、神の聖さに出会って自分の罪深さを自覚、そんな自分の罪を神が赦してくださったという驚くべき恵みを経験したからです。神の愛と赦しがイザヤを献身へと押し出したのです。現代における献身も同じです。神にとって必要なのは自信家ではなく、信仰者なのです。