「旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」(出エジプト記40:38)
昼は雲の柱、夜は火の柱、それは荒野を旅する民を導き励ますものでした。神が共にいてくださるという徴でした。私たちにもそれがあったらいいなあと思いますが、町のあちこちに見える教会堂は案外現代の雲の柱、火の柱なのかもしれません。残念ながら近くに教会堂がなくても、私たちの心には今日もしっかり神の愛が見えているのでは?
昼は雲の柱、夜は火の柱、それは荒野を旅する民を導き励ますものでした。神が共にいてくださるという徴でした。私たちにもそれがあったらいいなあと思いますが、町のあちこちに見える教会堂は案外現代の雲の柱、火の柱なのかもしれません。残念ながら近くに教会堂がなくても、私たちの心には今日もしっかり神の愛が見えているのでは?