「いかに幸いなことか」

詩編には「いかに幸いなことか」という言葉が実に24回も出てきます。代表的なものを挙げてみます。まず詩編1:1~2です。

いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず/主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。

詩編128:1にも出てきます。

いかに幸いなことか/主を畏れ、主の道に歩む人よ。

24箇所すべてを読んでみると、幸いな人とされているのは神とのつながりを持っている人であり、詩人は神とのつながりを失ったところに真の幸いを見い出すことはできなかったのです。

神学者W・パネンベルグが『現代キリスト教の霊性』の中で記している言葉を思い出します。

今日の人間の生はたしかに、至る所、神なき生の実験である。しかしそれは成功するだろうか。成功しただろうか。神について語られることが少なくなったところでは、生の全体としての体験が貧しくなってしまったのではないだろうか。

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