「イエスは天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください』」(ヨハネ17:1)
ここで注目したいのは「天を仰いで」と「時が来ました」という言葉です。私たちが天を仰ぐのはため息をつくためであることが多いのですが、主イエスは祈るためにそうされました。主イエスは自分に都合のよい〈時〉ではなく、神の〈時〉を求められました。〈神が期待なさること〉を〈神が期待なさる時〉にする、主イエスのその生き方が私たちのお手本です。
ここで注目したいのは「天を仰いで」と「時が来ました」という言葉です。私たちが天を仰ぐのはため息をつくためであることが多いのですが、主イエスは祈るためにそうされました。主イエスは自分に都合のよい〈時〉ではなく、神の〈時〉を求められました。〈神が期待なさること〉を〈神が期待なさる時〉にする、主イエスのその生き方が私たちのお手本です。