9月6日のみことば

「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた」(創世記24:1)

若い頃のアブラハムも魅力的だったと思いますが、老人となり神の祝福に包まれているアブラハムも捨てたものではありません。「わたしたちは何も、勇者である必要はない。嘆いても結構。ただ知っておいていいのは、絶望するようなことは、けっしてないということ」。なぜなら神の守りと祝福がいつもアブラハムに、そしてわたしたちにあるのですから。

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