メッセージ

「祈りの心を育てたい」

2017-10-07

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」とⅠテモテの手紙2:1に記されています。

神学者アドルフ・シュラッターは「パウロは祈りを捧げることが教会の一番大切な行為であり、それを教理と教育以上の位置に置く」と言います。祈りを怠ることが教会の健康を深く損なう原因だとも言っています。

祈りには四つの種類があります。「願い」と「祈り」と「執り成し」と「感謝」です。ある注解者は、この四つを厳密に区別する必要はなく、パウロは祈りの大切さを強調したのだと言います。しかし私はこの四つの言葉を大切にしたいと思います。なぜならこれを学ぶことによって私たちの祈りが今よりもっと豊かなものになると思うからです。

「願い」とは私たちの欠乏を神に訴えること、「祈り」とは神の偉大さを讃美すること、「執り成し」とは他者のために祈ること、最後は神が私に与えてくださった多くの恵みに「感謝」することです。祈りをさらに豊かなものに育てていきましょう。

「祈りの力を確信して」

2017-10-07

聖書を開くと、祈りに関することが多く出てきます。祈りの大切さを痛感させられます。

ヤコブの手紙5:16には「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」とあります。聖書が言う「正しい人」とは神に信頼している人、罪赦された神の子としての自覚をもって生きている人のことです。そのような人の祈りには「私たちが予想する以上に力がある」(W.リュティ)のです。なぜならその祈りに神がしっかりと耳を傾け、必ず応えてくださるからです。

創世記18:22には「アブラハムはなお、主の御前にいた」とあります。ソドムとゴモラは罪に満ちた町でした。神はこの地を滅ぼすと言われました。ところがそこにはアブラハムの甥ロト一家が住んでいます。アブラハムは彼らの救いのために必死に執り成したのです。「五〇人の正しい人がいれば…」から始まり、最後は一〇人まで神と交渉するのです。その結果、ついにロトの一家は神の特別な救いにあずかることになったのです。

私たちも愛する家族や親しい友のために心から祈る者でありたいと願います。

「二つの原動力」

2017-10-07

申命記は、エジプトで奴隷状況にあったイスラエルの民を約束の地へと導き出した指導者モーセの遺言とも言うべき文書です。

あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。(申命記8:2)

荒野の旅は厳しいものでした。しかしそこで民は数えきれないほどの恵みを経験し、神の十戒を精神的な拠り所として育っていったのです。モーセはこの恵みを常に思い出すようにと勧めます。それが今を生きる原動力なのです。

もう一つは彼らがやがて住むことになるカナンの地への希望です。この希望がもう一つの原動力となっているのです。

主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。(申命記8:7)

宗教改革者ルターはこう言いました。「この世を動かす力は希望です。やがて成長して新しい種子が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種をまかない。…利益が得られるというが希望がなければ、商人は商売に取り掛かれない。」。

恵みの思い出と将来への希望、この二つがイスラエルの民の原動力となったのです。

「家庭という聖堂で」

2017-10-07

申命記は、モアブ平原においてまさに世を去ろうとするモーセが、約束の地に入ろうとするイスラエルの民に対して与えた遺言的な訓戒と激励であり、律法の説き明かしです。

今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。(申命記6:6~7)

モーセが繰り返し教えるように命じたこと、それは愛と力に富む神がおられること、真心から信じる者を神は本当の祝福へと導いてくださるのだということでした。

山陽新聞社出版の渡辺和子先生の回想集『強く、しなやかに』を読みました。その中にノートルダム清心女子大学の理事長として学報に掲載した「生きる力」という文章があり、次のように記されていました。「家庭とは、我々に生命を与える源であり、人が考えることを学ぶ最初の学校であり、祈ることを学ぶ最初の聖堂である」。

信仰を形づくる家庭と教会の役割の大きさを改めて教えられています。

希望を見いだすこと

2017-09-12

新聞記者(西日本新聞)になった28年前、切った張ったの社会部は怖くて行きたくないと敬遠していましたが、振り返れば18年以上を社会部で過ごし、事件事故、災害、司法、医療取材などを通して世の不条理や生と死を見つめてきました。

昨年秋に社会部長になったとき、部員に伝えたのは「新聞記者が書くべきは『生の肯定』である」ということです。「どんなにつらく悲しい現実に向き合っても、記事の結論が絶望であってはならない。目を凝らし耳を澄まして、希望を見いだすこと」「ペンで社会を変えるのは記者の使命である。一方で取材・執筆を通して己自身の価値観や思想が変えられる経験もしてほしい」とも付け加えました。先月末の部長退任にあたっては、マルチン・ルターが語ったとされる言葉「たとえ明日世界が滅びようとも、今日私は林檎の木を植える」を紹介し、その意味を考えてもらいました。

「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」(ヨハネによる福音書5章17節b)。こう言われた主イエスの働きが続けられていることを、週ごとの礼拝を通して新たに見いだしたいと願っています。(田川大介)

 

 

老年

2017-09-12

老年は、人生のなかで、一番貴重な時で、もっとも永遠にちかづいている時です。老いることには、二通りあります。いつもいらいらして不平をいい、過去と幻想にとらわれていて、自分のまわりで起こることをみな批判する生き方です。若者は駄目だと退け、自分の殻に閉じこもって、ただ悲しんだり、寂しがったりする人たちです。

もう一つの生き方は、子供の心をもつ老人になることです。今までの役目や責任から解放されて、自由になったので、新しい青春を見い出すことができます。彼らは、子供のようになんでも不思議がる好奇心とともに、成熟した人間の知恵を持ちあわせています。…彼らの心は、自由でのびやかで、自分たちの限界も弱さも心得ているので、彼らの光り輝く存在は、共同体全体を明るく照らします。彼らは、優しくて、憐れみ深く、同情心とともに、赦しの心のシンボルでもあります。彼らは共同体の隠れた宝であり、一致とともに、生命の源泉です。

(大塚野百合『老いについて』の中にあるジャン・バニエの「老年」より引用しました)

「キリスト者の生き方」

2017-09-12

キリスト者の生き方とはどのようなものでしょうか。①聖書を読む、②お祈りをする、③礼拝に出席する、④献金をする、⑤救いの喜びを証する。どれも欠かせない要素です。

聖書の言葉に親しむ助けになればと思い、み言葉メールを毎朝希望者に送信、ホームページやフェイスブックにもアップしています。参考までに最近のものをご紹介します。

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマの信徒への手紙15章13節)

私たちは信仰の力を見くびっているのかもしれません。気休め程度に思っている人も多いと思います。決してそうではないのです。使徒パウロは「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和」と言っています。心の底から沸き起こり、いつまでも存続する本当の喜びと平和です。信仰が生み出す賜物の貴さをお互いに再認識したいものです。

み言葉こそ私たちの力の源泉です。

「過去に目を閉ざす者は現在が見えなくなる」

2017-08-16

今年6月23日、私はこの日沖縄にいた。それは、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった20万人を超える犠牲者に思いを寄せ、ふたたび戦争を起こさせない誓いを立てる「慰霊の日」であった。

日本バプテスト女性連合では、この日を6・23「沖縄(命(ぬち)どう宝(たから))の日」と定め、「沖縄6.23学習ツアー」を主催し続け、今年が10回目であった。2年前にも前職場での沖縄平和学習に参加し、それまでの自分の無知を恥じたが、今回、沖縄の人々が受けた苦しみと悲しみを、少しでも自分の痛みとして感じられるようになりたいと思い、参加した。

今年の学習の中心は、渡嘉敷島沖縄戦追体験と「集団自決」の証言者である金城重明先生(那覇中央教会名誉牧師)の講演であった。先生の言葉一つ一つに、3年前のルワンダ学習ツアーでの体験がよみがえった。

大義名分がつくりあげられ、破壊と死の恐怖と共に繰り返し流布された時、人は自分の命と家族を守るために相手の命を奪う。

冒頭の言葉は、ドイツの第6代連邦大統領ヴァイツゼッガーが、敗戦40周年の連邦議会で行った演説の一部である。今私たちの身近では、過去の実態をなかったものと主張する声や動きもある。どんなに悲惨でも、愚かしいことであっても、事実を直視しなければ、謝罪も、赦しも生まれてこない。平和への希望も生まれない。(前田三枝子)

 

 

「真の知性と富を求めて」

2017-08-16

今年1月19日、ハーバード大学のシンポジウムでゴールドマン・サックスCFOマーチン・チャベス氏は「かつて600人いた株式売買のトレーダーのうち2017年現在本社に残っているのはわずか2人で、あとはコンピューターのアルゴリズム取式です。」と言って金融関係者を驚かせた。かつての年収7000万円トレーダー達のほとんどが解雇されたのである。高速で株の売買を行う市場では、一秒間に1000回もの取引がなされ、もはや人間は無力である。金融市場はAI同士の戦場となったのである。

2017年フォーブスの世界長者番付を見ると1位マイクロソフトのビル・ゲイツ(9.5兆円)2位ウォーレンバフェット(8.3兆円)、そして3位アマゾンのジェフ・ベゾス(8兆円)であった。このうちマイクロソフトとアマゾンは共に高性能のAI開発にしのぎを削っている。それは、富の源泉としてのAIの開発である。世界最速、高性能AIが世界市場を支配し、富をもたらすのである。

最近AIを崇め、盲従する人々がいる。AIは新しい偶像となりつつあるようだ。我々は決してAIを「金の子牛」にしてはならない。真の知性と富は、論理演繹とデータ解析では決して得られないと考える。(相模裕一)

「マルティン・二―メラーの詩」

2017-08-16

ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。

けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。

 

それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。

けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。

 

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、

そのたびに自分の不安は増大したが、なお何事も行わなかった。

 

さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。

そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。

 

マルティン・二―メラー牧師(1892~1984)の詩。ドイツ教会闘争の指導者として1934年夏から敗戦まで強制収容所に収容された。(『信徒の友』2017年8月号掲載)

 

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