関西学院大学神学部に学んでいた頃、松木治三郎先生がよく語られた言葉を思い出します。それは「私たちの間に聖書がなければ私たちは悪魔の座に座る」という言葉で、『現代キリスト教問答』の序に記されています。
ユダヤ教のもっとも重要な文書ミシュナーの中に、次のようにしるされている。「もし二人の間にトーラー・法・十戒がないと、あざける者の座にすわる」。一人でなく二人だと人の悪口をいい合い、人をあざけり、神をあざける暗い陰謀の座となる(詩編1:1)。しかし「もし二人が共に座しその中にトーラーがある なら、そこに神のシェキナー・神の臨在 がある」と言う。私たちの間には、旧新約聖書一巻がおかれている。そこからイエス・キリストの顔に輝く神の栄光の知識が、私たちの心を照らすのである。
教会の交わりの真ん中には常に神の言葉があります。それは人の言葉や経験に優先すべきもので、それに聴き従うのです。今月は教会学校月間、全年齢層が神の言葉を学ぶ喜びを多くの方と経験したいと願います。