使徒パウロはⅠコリント13:13で「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」と記しました。それはパウロにとってキリスト教信仰の基本的要素でした。Ⅰテサロニケ1:3、ローマ5:1~5でもこの三つの言葉を記しています。
しかし現代人の多くが、パウロのこの考えに果たして同意するでしょうか。信仰は過去の人には必要だったかもしれないが、私たちには不要なもの、現代は希望を持つことすら難しい時代、愛はもっともはかないもの、確かにそれらは美しい、あった方がいいもの、憧れではあっても、生きる力にはならないと言うことでしょう。
そのような考えを前、パウロはすごすごと引き下がるでしょうか。決してそうはなりません。彼は一層力を込めて「私の言う信仰と希望と愛は確かで不動のものだ」と言うに違いありません。その根拠は「神の愛がわたしたちの心に注がれているから」(ローマ5:5)です。由来が違うのです。人が育てるのではなく、神の愛が育てる信仰であり、希望であり、愛なのですから。