詩編133:1の御言葉は有名です。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」口語訳では「見よ、兄弟が和合して共におる」となっており、岩波訳では「兄弟がいっしょに住む」となっています。
若い頃この箇所について英語の注解者を読んだ時、これを「クールでフレッシュな交わり」と説明してあり、とても心に残りました。そのような交わりはどのようにして形成されるのでしょうか。自分の気に入った者とだけ一緒にいるからでしょうか。利害を同じくする者が集っているからでしょうか。詩編の著者はそうではないと明言するはずです。
かつて神学者松木治三郎先生が「私たちの交わりの真ん中に神の言葉がないと、私たちは悪魔の座に座る。もし私たちの間に聖書が置かれているなら、神の栄光の知識が私たちの心を照らす」と言われたことがありました。「兄弟姉妹が共に座っている」その交わりの真ん中にあるのは神の言葉です。その神の言葉が生きて働いて、私たちの交わりをクールでフレッシュなものとするのです。