詩編123編2節に心を捉えられます。特に繰り返し出てくる「目を注ぐ」に注目したいのです。
「御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎはしためが女主人の手に目を注ぐようにわたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ憐れみを待ちます。」
神学者E・H・ピーターソンも『牧会者の神学』の中で、〈祈り・聖書理解・霊的導き〉という三つの働きについて次のように説明しています。
「聖書を読むことは、2000年という時間を越えて、イスラエルとキリストにおいて示された神の語りかけと行動に『注目する行為』である。祈りは、神の前における自分自身に『注目する行為』である。霊的導きは、私の前に現れる人物の内部で神がなさっておられる働きに『注目する行為』である。」
私たち信仰者は何よりもまず神が御子キリストを通してなさった働きに注目します。そしてその神が私の内で、さらに信仰の友の内で行われるリアルな働きにしっかりと目を注ぐのです。
「知恵ある人は皆、これらのことを心に納め主の慈しみに目を注ぐがよい。」(詩編107編42節) (踊)