マルコ福音書には主イエスが目の不自由な方を癒された記事が二度出てきます。私自身も以前網膜剥離の手術を受けましたので、目に関する記事は身近に感じます。
一度目は8章のベトサイダにおける盲人の癒しです。主は彼の目に手を当てて「何か見えるか」と尋ねます。すると「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と答えます。再び主が手を当てられると「よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった」と記されています。
二度目は10章の盲人バルティマイの癒しです。彼は主イエスに向かって大声で呼び求めます。すると主は彼を招かれました。「何をしてほしいのか」「見えるようになりたいのです」。主は彼の願いに応え、はっきり見えるよう癒してくださったのです。
「見えるようになりたい」「はっきり見えるようになる」、それは私たちにとっては目が見えるようになるという奇跡であると同時に、主イエスのことをもっと知りたい、もっと理解したい、そして心から信じたいということでもあるのではないでしょうか。