希望についてある人がこう言いました。「希望とは空気中の酸素のようなものだ。それがなければ人は生きることができない」。
「希望の神学」を提唱したユルゲン・モルトマンが一九九六年一○月に来日、東京・信濃町教会や関西学院大学などで講演しました。私はそれに参加し深い感銘を受けました。「希望ではなく、不安が私たちの日々の同伴者なのである」「信仰は人間をキリストに結びつける」「信仰は希望の基礎である。感情や経験や成功に基づいてはいない。神と神の言葉に対する信仰に基づいている」「信仰なしに希望は虚空に拡がるユートピアになり果てる」「希望は信仰を養い育てる。希望は信仰を拡げ、常に活気を与え、最後まで持続するようにする。希望がなければ信仰は小さくなり、崩壊し、ついには死せる信仰となる」。
第Ⅰペトロ1章3節にはこう記されています。「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新た に生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え…」。神がくださる希望は「生き生きとした希望」、内にエネルギーを持っている希望、通常の希望とは質を異にするものなのです。