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レビという名の弟子

「レビという弟子」

マルコ2:13以下に「レビを弟子にする」記事があります。しかし3:13以下の十二弟子の一覧表にはその名前はありません。ルカ福音書はマルコ福音書に従って徴税人レビとマタイを別人物として描いていますが、マタイ福音書はこの徴税人レビとマタイを同一人物と理解して記しています。

神学者ゲルト・タイセンはマルコ福音書の意図を次のように説明しています。

イエスが最初に信従へと招く者たちの一人が徴税人レビである。彼はイエスを自分の家に招待し、宴会を催す。彼の名前は常にイエスの側にいるべき十二弟子の一覧表には欠けている。こうすることでマルコは、レビが家に留まったことを示唆しているのである。

主イエスの群れには常に「そばに置く」一二人と、日ごろはそれぞれの生活をしながら主イエスに仕える群れがいたのです。生涯を主に捧げて従う者と、自分の働きをしつつ主に仕える者、ともに主の働きへの献身者なのです。今日は神学校週間礼拝、喜びをもって主に仕える群れでありたいと願います。

 

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