信仰生活ABC

問6:それは、実際にはどういうことなのでしょう。

答:はっきり言い表すことはむずかしいのですが、私たち人間の世界は何か混沌として、すべてが空しく過ぎ去っていきます。しかしそれは創造以前の「形なく、むなしく、やみが淵をおおう」混沌ではなく、私たち人間に責任があり、その根源に人間の罪責があるように思われます。

 

創世記3章にはアダムとエバの堕落の話が記されています。「その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように」思えたので、彼らは自分の意志で取って食べたのです。その結果は自らの弱さと愚かさを発見しただけでした。

創世記11章には有名なバベルの塔の話が記されています。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないようにしよう」(創世記11:4)。ここには神の恵みによってではなく自分自身の知恵と力で生きようとする傲慢な意志があります。以前創世記を取り扱った映画を観ました。高い塔の上から天に向かって矢を射る猛々しい男の姿、神に挑みかかる愚かな人間の姿が印象的でした。

こういう人間の姿を神はどうご覧になっているのでしょうか。詩編2編4節には「天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り」と記されています。人間のあまりの愚かさを神は失笑されるのです。なぜならそこには虚しい混乱しかないからです。

コリントの信徒への手紙Ⅰ14章33節にはこう記されています。「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです」。私たちの心が神に向かう時、そこに真の平和、秩序が生じてくるのです。

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