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「人生の重荷を軽くする方法」

徳川家康の家訓は有名です。苦労して幕府の基礎をつくった人の言葉だけに納得できる点があります。人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。こころに望起らば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。勝事ばかりを知りて負くる事をしらざれ

「バプテスト教会の誕生について」

「バプテスト」という教派はいつ誕生したのでしょうか。ルターが宗教改革を開始したのが1517年、ヘンリー八世がローマ・カトリック教会から独立しイギリス国教会を設立したのが1534年、カルヴァンがジュネーヴで改革に着手したのが1536年、ジェームス一世が即位し国教を強制、清教徒を迫害したのが1603年の

「弟息子の大誤算」

ルカ福音書15章に記された見失った羊のたとえ、無くした銀貨のたとえ、放蕩息子のたとえはルカらしい印象的な話です。放蕩息子の話では、弟息子は「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と言って「遠い国に旅立」ってしまいます。これは私たちが想像する以上に当時はたいへんなことでした

「この七人の働きによって」

ルカ福音書と使徒言行録の著者は「ルカ」です。彼が福音書を書いたのは紀元80年代、続いて使徒言行録を書いたのは90年代だと言われています。ルカの信仰と神学とはどのようなものでしょうか。ルカは歴史を分けて理解する傾向があります。神学者コンツェルマンは『時の中心』という書物の中で、ルカはイエスを「時の

「真の羊飼いに導かれて」

聖書の言葉は私たちに慰めと希望を与える力を持っています。その中でも次の二か所は最も多くの人に愛されてきた箇所です。1つはヨハネによる福音書3章16節。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」もう1つは詩編23編。

「創世記と黙示録」

新年に与えられたのは聖書の最初と最後、創世記とヨハネの黙示録の言葉です。旧約聖書学者の松田明三郎先生が創世記の注解において「創世記は常に新しい霊感の源泉である」と書いておられます。創世記は歴史記述ではありません、神と人間の本質を明確に記す信仰の書です。神はあらゆる良いものでエデンの園を満たし、そ

「ヨセフは起きて、夜のうちに」

マタイ福音書は、降誕物語に引き続きヨセフが幼子とマリアを連れ、ヘロデ王の追手を逃れエジプトへ避難したことを記しています。占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、こ

「おかんとボクの信仰継承」

京都のど田舎の長男の嫁として嫁いできたおかんの信仰生活は、生半可なものではなかった。…「お母さん、ようあの家でクリスチャン続けてきたなぁ。クリスチャンやめてもしゃあないほど、大変やったやんか」とボクがそう言うと、おかんはしばらく黙ったあと、こう言った。「私には神様しかなかったんや。神様は、無駄なこと

「感謝せずにはいられない」

使徒パウロの手紙を読んで気づくことは、「感謝」という言葉がしばしば出てくることです。例えばテサロニケの信徒への手紙Ⅱ2:13には次のように記されています。主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。パウロが創設したコリント教会はいつも多

真偽を識別する基準

「福音」とは「喜びを伝える知らせ」「よい便り」という意味です。福音を聞いた人の心には喜びが溢れるのです。ですから新約聖書、特にフィリピの信徒への手紙には「喜び」という言葉が繰り返し出てきます。わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。(フィリピ3:1)主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜

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