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「聖書を通読しませんか」

18才の頃、私は聖書の与える慰めと励ましを体験し、以来四度通読しました。最初は口語訳、新改訳、文語訳、そして再び口語訳。残念ながら新共同訳はまだ通読に至っていません。今年12月に新しい翻訳「聖書 聖書協会共同訳」が出版の予定で、その前に新共同訳の通読を開始したいと思いました。実はもう一つの強い理由

「聖書の言葉を耳にする」

ルカ福音書4:16以下には、主イエスがナザレの会堂で教えられたことが記されています。その時主イエスはイザヤ書61:1~2と58:6をお読みになりました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれてい

「バッハの聖書」

詩編148編はすべての被造物に心からの讃美を呼びかけています。「ハレルヤ。天において主を賛美せよ。地において主を賛美せよ。」特に12~13節には次のようにあります。「若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。主の御名を賛美せよ。」1934四年、アメリカでJ・S・バッハ(1685~1750)の聖書が発見さ

「来てみなさい。そうすれば分かる」

ある集まりで一人の人が「キリスト教の将来には希望が持てない、教会員は次第に減り、いくつかの教会は消滅するか合併するだろう」と言うのです。その方はそう思っているのですから、あえて反論するのはやめました。しかし私の心には別の言葉が響いていました。私が「主よ、今日あなたを求める人は少ないのでしょうか」と

「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」

ルカ福音書3章にはバプテスマのヨハネのことが記されています。彼はイエス・キリストの先駆者であり、救いへの道備えをした人です。荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の

「群衆がかわいそうだ」

マタイ福音書15:29以下を見ると、ガリラヤ湖畔の小高い丘は病む人の癒し場です。イエスは…ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登って座っておられた。大勢の群衆が…多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。またこの小高い丘は空腹の人々への給食の

「しかし、お言葉ですから」

ルカ福音書5章には、一晩労しても何も獲れなかったペトロに、主イエスがもう一度漁をするよう促されたことが記されています。ペトロは「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから…」と答え従いました。結果は大漁でした。ここには信仰生活にとって大切なことが記されていま

「同じようにしてやりたいのだ」

聖書にはしばしば不思議に思う箇所があります。その時は納得しても、しばらく経つと再び疑問が生じる、マタイ20:1~15の「ぶどう園の労働者」もその一つです。ぶどうの収穫時期、園の主人は夜明けに労働者を雇うために広場に行き、一日1デナリオンの約束で労働者を大勢雇い入れます。主人はさらに9時、12時、

「主イエスはろばの子に乗って」

エルサレムは城塞都市でした。ユダヤ全土を支配するローマ総督は軍馬にまたがり、訓練された多くの兵卒を率いてエルサレムに入城しました。ローマに抵抗することの無意味さを示すためでした。一方、主イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入城されたとマタイ福音書21章に記されています。それは旧約の預言「見よ、お前

「十字架上の七言を黙想する」

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書によると、主イエスは十字架上で七つの言葉を語られました。福音書が四つあるからこそ私たちは十字架上の主イエスの思いをより深く知ることができるのです。1、父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。2、はっきり言っておくが、あなたは今日わ

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