BLOG

「ミケランジェロが見たもの」

ミケランジェロに関してこんな話を読みました。ある日、友人と山を歩いていた時、ミケランジェロは突然道の真ん中に立ち止まり、まるで魔法にかけられたように前方をじっと見つめていました。彼の視線の先には大きな花崗岩があり、ミケランジェロはそれを食い入るように凝視していました。「何を見ているのか」と尋ねた友人

もしも

もしも この地球の上にこどもがいなかったらおとなばかりでとしよりばかりでおとなはみんなむっつりとなりとしよりはみんな泣き顔となり地球はすっかり色をうしないつまらぬ土くれとなるでしょうこどもはとですこどもはアコーディオンですこどもは金のゆびわですとびます 歌います 光ります

信仰と芸術

もう随分前になりますが、「信仰と芸術」というテーマで夕礼拝を守りました。信仰と文学(斎藤末広先生)、信仰と音楽(古澤嘉生先生)、そして信仰と彫刻(片山博詞先生)。多くの方が参加してくださいました。最近日本聖書協会から鈴木範久先生の『聖書を読んだ30人―夏目漱石から山本五十六まで』が出版されました

「手を置いて祝福された」

マルコ福音書10章には、主イエスが子どもたちを祝福されたことが記されています。子どもたちを主イエスの元に連れてきた親たちの願いは「イエスに触れていただくため」でした。けれども弟子たちは場をわきまえない大人たちを叱りました。ところが主イエスは逆に弟子たちを叱り、幼子を側に招き、しっかりと抱き上げ、手を

交読文 栄光の讃美(グローリア)

司式 いと高きところには、神に栄光がありますように、会衆 地にある神の民に、平和がありますように。司式 私たちの主なる神、天にいます王、全能の父なる神よ、会衆 私たちはあなたを崇め、あなたに感謝し、あなたの栄光を讃えて讃美をささげます。司式 父なる神の独り子、主イエス・キリストよ、会衆 主

オルガン奉献礼拝交読文 栄光の讃美

司式 いと高きところには、神に栄光がありますように、会衆 地にある神の民に、平和がありますように。司式 私たちの主なる神、天にいます王、全能の父なる神よ、会衆 私たちはあなたを崇め、あなたに感謝し、あなたの栄光を讃えて讃美をささげます。司式 父なる神の独り子、主イエス・キリストよ、

「聖書は少し難しいが、役に立つ」

評論家立花隆氏の『ぼくの血となり肉となった500冊』という本があります。その中に「ぼくの血肉のうちのひとつに『聖書』が入っているのは間違いないでしょうね。ぼくは聖書を、それこそ中学生ぐらいのときからものすごく熱心に読んでいるんです」とありました。フリージャーナリスト池上彰氏の『世界を変えた10冊

「イエス・キリストの復活の意味」

今日はキリストの復活を祝うイースターです。復活は私たちの理性と真正面から対立することではないでしょうか。しかしそれは現代の私たちに限ったことではなく、弟子たちの時代においても同様だったのです。使徒言行録17:16以降には、使徒パウロが哲学の町アテネでイエスの十字架と復活について話した時のことが記

「主イエスとトマスの再会」

ヨハネ福音書20:27には復活の主がトマスに言われた言葉が記されています。それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」十二弟子の一人、トマスは懐疑家です。主イエス

「世の終わりまで、いつも共に」

イエスの復活は、弟子たちのみならず多方面に動揺をもたらしました。墓を警護していた数人の番兵はこの出来事を祭司長たちに報告しました。祭司長たちは番兵に金を与え、弟子たちがイエスの遺体を盗み出したという噂を流布、事後処理しようとしました。弟子たちは信仰を消耗させる噂を後にガリラヤに戻ります。愚にもつ

TOP