9月22日のみことば

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)

時々鏡に映った自分の顔を眺めてみます。あまり嬉しそうな表情をしていません。それで自分自身に問いかけてみます。「具合でも悪いのかい? 昨日は辛いことばっかりだったのかい?」。すると鏡の中の私が答えます。「いいえ、楽しいこともいくつもあったよ」「じゃあ、もっと嬉しそうな顔をしたほうがいいよ」と鏡の中の私。「体の健康にまさる富はなく、心の喜びにまさる楽しみもない」「喜びは長寿をもたらす」(シラ30:16、22)

9月21日のみことば

「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(箴言29:18)

「幻」とは辞書によれば「実際にはないのに、あるように見えるもの。また、まもなく消えるはかないもののたとえ」です。しかしここで聖書が言う「幻」はそれとは違います。現在の状況から人を立ち上がらせ、未来に向かって力強く押し出すエネルギーを内に秘めているものです。そうです、ヴィジョンです。私たちの教会は2022年12月4日に創立100年を迎えます。どう迎えたらいいでしょうか? 次の100年に向かってどう進みましょうか。

9月20日のみことば

「わたしの手は彼を固く支え/わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう」(詩編89:22)

フランスの諺から2つ。「事業を成し遂げるのは勇気であり、長い日々ではない」「打ち倒す者は強いが、立ち上がる者はもっと強い」。確かにそうです。人生にはある時、一念発起すべき時がありますが、多くの者は聖なる大事業のために立ち上がらないのです。人生に失敗はつきもの、打ち倒されたままの人が多い。しかしごく少数の人がその中から立ち上がってくるのです。そんな勇気をくださる方は神だと、今日の詩編は告げています。

9月19日のみことば

「わたしの胸が思い煩いに占められたとき/あなたの慰めが/わたしの魂の楽しみとなりました」(詩編94:19)

誰の人生には慰めや励ましを必要とする時があります。そんな時に慰め励ましてくれる友がいない人は大変です。「嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません」(詩編69:21)。でも忘れないでください。主なる神は本当の慰めと励ましをもたらす方としてあなたの側におられます。

9月18日のみことば

「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(詩編90:12)

作家パオロ・ジョルダーノが『コロナの時代の僕ら』の中でこの聖句について記しています。この危機が過ぎ去るまであと何日? そういう数え方ではない数え方が必要です。「僕らは人生のすべての日々を価値あるものにする数え方を学ぶべきではないだろうか」。「今日」という日を下さった神に感謝し、備えられている恵みを信じて歩みたいと思います。

9月17日のみことば

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる」(イザヤ43:19)

中学3年の「おもしろい」という詩。「みんなで笑う/おもしろい/新しいことを知る/おもしろい/おもしろいで/私をいっぱいにしたい/誰かをいっぱいにしたい」。そうなったら毎日をが楽しくなるでしょうね。私たちの顔は喜びで輝くでしょうね。ところで聖書の神は「見よ、新しいことをわたしは行う」と言われます。期待したいですね。

9月16日のみことば

「モーセは言った。『道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう』」(出エジプト記3:3)

神の山ホレブで柴の木が燃えているのに燃え尽きない! それを目撃したモーセは理由を突き止めようと近づきました。聖なる好奇心です。私たちもそれを持ちたいのです。キャロル・アン・モロウの『年を重ねるほど知恵を深めるセラピー』から一つ。「好奇心を持ちましょう。驚きの目を見張る時間を毎日持ちましょう」。これは高齢者にこそ必要です。