6月23日のみことば

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)

主イエスは弟子たちに「こう祈りなさい」と教えてくださいました。祈り求めるべきことは魂の平安だけではなく、今日必要な糧もです。神は私たちの命が健康で生き生きと保たれることを望まれます。「福音は人間全体に関わる――人間の魂だけではなく肉体にも、精神的福祉だけでなく物質的福祉にも関わる――と主張することによって、(社会学者ウォルター・ラウシェンブッシュは)キリスト教に対する偉大な貢献をしたのである」(『M・L・キング自伝』より)。

6月22日のみことば

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ7:12)

今日の聖句はいわゆる「黄金律」と言われるものです。私たちはこの教えをどれくらい真剣に受け止めているでしょうか。マルティン・ルーサー・キング牧師は『自伝』の中でこう言っています。「われわれはイエスの教えの中心である兄弟愛と黄金律をあざけっているかぎりは、真のキリスト教国になることはできない」。今日は隣人の幸せを願って祈りたいものです。

 

6月21日のみことば

「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」(ヨハネ6:9)

昨日の続き。神の国建設に役立つ行為。「重い障がいのある子どもに読み書きや歩行を教えるのに使うすべての時間。同胞である人間をケアし、養い、支えるあらゆる行い。さらに人間以外の被造物の世話をする行為。そして、もちろん、すべての祈り。御霊に導かれた教え。…」

またまた紙面が足りません。N.T.ライトの『驚くべき希望』336頁をどうぞお読みください。

6月19日のみことば

「この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない」(マルコ4:19)

毎日、次々と思い煩うことが出て来るものです。この思い煩いはどこから? どうやら私たちを愛し、配慮し、導いてくださっている神を忘れている時に生じるようです。そこで、「神さま、今、私が直面している課題の真ん中にお立ちください。あなたが良いと思われる方向へ導いてください」と祈ると、次第に問題は小さく、少なくなっているように思えるのです。

6月18日のみことば

「まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った」(イザヤ59:15)

ミャンマー国軍によるクーデターから4カ月、人権侵害の報道を耳にしています。この国は国分キリスト教会のマウ・マウ・タン牧師の母国、ご両親は今もその地に。身内への報復を心配しつつミャンマーに再び民主化が到来することを願い、声を上げています。「国軍を正当な政府と認めないでほしい」(南日本新聞2021.6.3)。彼の祈りに私たちも祈りを合わせましょう。

6月17日のみことば

「親族もわたしを見捨て/友だちもわたしを忘れた」(ヨブ19:14)

昨日の続き。キング牧師がベトナム戦争への反対を表明した時、多くの人がもっともらしい理由をつけて彼を黙らせようとしました。厳しい非難が起こり、仲間も彼のもとを去り、寄付金も激減しました。しかし彼の決心は変わりませんした。「どれだけ多く人々が反対しても、私は真理を語ろうと決心したのである」。大切なことは多くの友が理解者であるかどうかではなく、神ご自身が味方あるかどうか、です。波のように押し寄せた人々は、波のように去るです。

6月16日のみことば

「わたしたちは皆、…正義を望んだが、それはなかった。救いを望んだが、わたしたちを遠く去った」(イザヤ59:11)

公民権運動の指導者マルティン・ルーサー・キング牧師はある時「ベトナムの子供たち」という記事を読み、こう決心しました。「もう二度と私は、わが国を滅ぼし、何千何万というベトナムの子供たちを殺しているような問題について、黙っているつもりはない」。黙っていることは子どもたちの殺害に加担すること。今も黙っていてはいけない出来事が多いのでは?