1月29日のみことば

「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い」(哀歌3:22~23)

「哀歌」はエルサレム神殿の崩壊を悲しみ、これが神の民にとって何を意味するかを探ろうとしている5編の詩です。その中でも今日のみ言葉は特別に慰めに満ちています。主の慈しみと憐れみは尽きないどころか、朝ごとに新たであると言うのです。さらに言うと、日毎に大きくなっていくのです。神の真実と愛はそれほど深く高く大きいのです。

1月28日のみことば

「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです」(詩篇4:8/口語訳)

朝これを読んでくださる方、今夜もこの言葉を再度お読みください。マックス・ウェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』にドイツの諺が出てきます。「やましくない良心は柔らかい枕」。一日の歩みを振り返り、心に何ひとつ咎めを感じない、むしろ「今日もいい日だったなあ」と布団の上に身を延べることのできる人は幸いです。深い眠りのうちにすっかり疲れを癒され、新しい力と喜びを頂いて目覚めることができるでしょう。

 

1月27日のみことば

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ11:24)

家庭問題で悩み続け、屋根裏部屋で何時間も「みじめな私を助けてください」と祈り続けていた一人の女性にブルームハルト牧師はこう言ったそうです。「そのばかげた祈りをやめなさい。今すぐ部屋に戻り、子どもの世話をし、家事をこなし、家畜の世話の世話、畑を耕し、牧草地の手入れをしなさい」と助言。「どうしてどんな厳しいことを?」と問う人に、彼は「祈ったからには、自分の悩みをふるい落とすようにして神を待つことです。自分のみじめさだけを見つめるならば、ますますみじめになるでしょう」。「祈り、かつ、働け」ですね。

1月26日のみことば

「弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った」(ルカ11:1)

神学者左近豊先生が『祈り』という本の中で書いておられました。「祈りは借り物でよい! 祈りは考え出すより真似るものです。祈りは思いあぐねるより学ぶものです」。そもそも弟子たちがイエス様に「あなたのなさっておられる祈りを教えてください」と願い、一句一句丁寧に教えて頂き、覚えたのが「主の祈り」です。だから真似て捧げる祈りこそ大切なのです。

1月25日のみことば

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタイ6:6)

神学者ボンヘッファーは、「子が話すことを学ぶのは、父が彼に話すからだ。そのようにわれわれが神に語るのを学ぶのは、神がわれわれに語られたから、また語りかけているからである」と言っています。神の言葉に耳を傾ければ傾けるほど、私たちはきっと祈りを愛するようになるのでしょうね。

1月24日のみことば

「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り/夜、主の歌がわたしと共にある/わたしの命の神への祈りが」(詩編42:9)

昼間多くの人々は働きます。詩人は、神も私たちのために働き、溢れるほどの慈しみを送ろうとしておられると言うのです。だから大いに期待しながら私たちのなすべき働きに勤しみたいと思います。そして静かな夜を迎えた時、一つひとつを振り返りながら、「ああ、これも神の恵みだった、あれもそうだ」と心からの感謝をささげたいと思います。

1月23日のみことば

「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て/あなたを仰ぎ望みます」(詩編5:4)

祈り、それは神と出会うこと、神に向かって顔を上げることです。神のお顔はきっと優しさに満ちています。哲学者キルケゴール(1813~55)は、「わたしたちの心にあなたへの思いが目覚めるそのとき、恐れのあまりあたふたと飛びまわる鳥のようではなく、天上の笑顔を映し出して眠りから目をさます、幼子のようでありますように」と祈っています。

 

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