10月1日のみことば

「わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません」(Ⅰテモテ2:7)

宗教改革者ルターは「万人祭司」を主張しました。「キリスト者はすべて祭司であり、すべての祭司はキリスト者にほかならない」。私たちキリスト者は一人残らず福音の証人です。心を込めて福音を伝えることが私たちの責任です。郵便局員が郵便物を、宅配の人が品物を大切に届けるように、私たちも愛する家族や親しい友人にキリストの貴い福音をていねいに届けたいと思います。

9月30日のみことば

「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました」(Ⅰテモテ2:5~6)

十字架のキリストだけが神との交わりに至るまことの道を拓いてくださった方です。だから使徒ペトロはこう言いました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒言行録4:12)。これこそがキリスト教徒の変わらない確信なのです。

9月28日のみことば

「王たちやすべての高官のためにも(祈りを)ささげなさい」(Ⅰテモテ2:2)

政治家たちにはいつも失望します。反社会的な宗教団体と結びつき、その会合に喜んで顔を出し、歯の浮くような世辞を言い、事件が発覚したら、実はその団体のことはよくは知らなかったと言い張る始末…。使徒パウロはそんな者たちのためにも祈れと勧めます。正直に言えば難しい、でも私はこう考えて祈るようにしています。彼らの破滅を願う人は多いが、彼らが心から悔いて回心し、正しい政治を志すよう祈るのは私たち以外にいないのでは、と

9月27日のみことば

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」(Ⅰテモテ2:1)

使徒パウロは愛する弟子テモテに対して「まず第一に勧めます」と言います。第二でも第三でもなく、第一の勧め、それは祈りです。W.バークレーの注解書の言葉を心に明記しましょう。「祈りはすべての人のためになされるべきです。神はすべての人が救われるのを願われる神である。イエスはすべての人々のために贖いとして生命を与えられた」。

9月26日のみことば

「信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました」(Ⅰテモテ1:19)

パウロは「信仰」と「正しい良心」の関係に着目しています。信仰は正しい良心を、正しい良心は美しい生き方を生み出します。福岡女学院の元院長徳永徹先生は長女の聖書に「凛として花一輪」とサインし、カトリックのシスター渡辺和子先生は私の本に「人見るもよし人見ざるもよしわれは咲くなり」と書いてくださいました。信仰者の生き方を教えられます。

9月25日のみことば

「わたしの子テモテ、…この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい」(Ⅰテモテ1:18)

この世には多くの問題が前途に立ちふさがり、私たちの気力を削ぎ、希望を粉砕してしまいます。パウロの愛弟子テモテはまさにそのような状況にありました。パウロは優れた司令官のように厳かに命じます、「預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい」と。「預言」とは神の言葉、それが私たちを励まし、課題に取り組み雄々しく戦い続ける力を与えるのです。

本日は召天者記念礼拝です。講壇に信仰の先達の写真を飾り、その信仰を想起する時を持ちます。

9月24日のみことば

「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」(マルコ9:24)

重い病の子どもを持つ父親が主イエスのもとに来て言いました。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでください」。それに対して主イエスは「『できれば』と言うのか。信じる者には何でもできる」と答えられました。その父親は魂からほとばしるように「信じます!」と叫んだのでした。これが信仰ではないでしょうか。信仰とは神に対する冷静は知識ではないのです。神に必死に語りかけること、いいえ、もっと言えば、魂の叫びなのです。主はその叫びをしっかり受け止めてくださるのです。

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