8月22日のみことば

 

「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライ13:8)

石川啄木の歌に「ふるさとの山に向ひて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」とあります。人の心はころころと変わりますが、変わることなく自分を迎えてくれるふるさとの山のありがたさ、私にとっては鹿児島の桜島でしょうか。しかし何よりもありがたいのは主イエス・キリストの愛です。昨日も今日もいつまでも変わることがありません。

8月21日のみことば

「どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように」(詩編29:11)

今日も私たちの前には取り組むべき働きがあります。私たちには知恵と力と意志が必要です。カレン・ムーアは『一分間の黙想 心からの祈り』の中で「どうぞ10人分の力をわたしに下さい」と祈っています。それほど課題は多く、また大きいのでしょう。私も教会の働きに取り組むために、10人分とは言いません、3人分の力を下さいと祈りたいです。

8月20日のみことば

「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き/わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう」(詩編116:1~2)

原崎百子さんの病床日記『わが涙よ、わが歌となれ』にある詩「わが礼拝」。「わが呻きよ、わが讃美の歌となれ。わが苦しい息よ、わが信仰の告白となれ。わが涙よ、わが歌となれ。わが病む肉体から発するすべての吐息よ、呼吸困難よ、咳よ、主を讃美せよ」。主よ、今重篤な状態にあるH姉の一切を、あなたへの讃美・祈りとしてお受けください。

8月19日のみことば

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ6:28)

主イエスは「野の花」を注意深く見るよう促されます。美しく育ててくださっている神の愛に気づくためです。小さな花を配慮される神は私たちのことも配慮されます。ジャン・カルヴァンは「一本の草、一つの色、どれを取っても、私たちを喜ばせようという意図の下に造られていないものはない」と言っています。美しい小さな花、そこには私たちの今日を喜びで満たそうという神の意図があるのです。思う患わないで今日も歩みましょう。

8月18日のみことば

「神の言葉は…信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(Ⅰテサロニケ2:13)

祖母の聖書に、確かイザヤ書だったと記憶するのですが、そこに赤鉛筆で「主よ、このみことばを信じます」と記してありました。祖母はその聖句を自分への約束として信じ、その実現を期待していたのでしょう。素朴ではありますが、見事な信仰だと思いました。私も頂いた聖書一句を自分への神の約束と確信し、期待して歩みたいと願っています。

8月17日のみことば

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:30~31)

テレビでは昔から栄養ドリンクのCMがよく流されています。みんな疲れているのでしょうね。「元気はつらつオロナミンC」、サラリーマン川柳では「ユンケルとリゲイン飲んで腹下し」。朝から失礼しました。必要な時は飲んだとしても、やはり飲み過ぎはいけません。ところで本当の力の源泉は神の愛と力への信頼だと預言者イザヤは言っています。

8月16日のみことば

「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」(詩編37:24)

「七転八倒」とは七度も転んだり倒れたりすること、もがき苦しむこと。「七転び八起き」とは多くの失敗にもめげず、そのたびに奮起して立ち直ること。前者より後者がいいです。しかし自力で立ち直れない場合もあるのでは? 聖書は、幼子の手を母親の手がしっかり握っているように、「主がその手をとらえていてくださる」と言います。感謝!

Loading...