10月24日のみことば

「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。』」(詩編139:11)

砂漠の夜は本当に暗く、だからこそ月や星の光は一層明るく感じます。しかし神こそ真の光だと詩人は言うのです。「闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない」(詩編139:12)。「わが魂のひかり、すくいぬしイエスよ、ちかくましまさば、夜も夜にあらず」(讃美歌21-214)。。

10月23日のみことば

「どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう」(詩編139:7)

神の配慮の及ばないところはないと詩人は言います。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(詩編139:8~10)。なんという平安!

10月22日のみことば

「その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない」(詩編139:6)

これが神の導きと祝福を経験した詩人の実感でした。神のなさり方、神の祝福の大きさはいつも彼の予想を超えていました。使徒パウロも「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマ11:33)と感嘆の声をあげています。神は私たちの一週間をも導き祝福してくださいます。

10月21日のみことば

「前からも後ろからもわたしを囲み/御手をわたしの上に置いていてくださる」(詩編139:3)

トルコで発見されたローマ時代の家の壁に掘られていた祈りです。「力を持ちたもう主が私たちを憐れみ、この家を出るとき、またこの家に入るとき、私たちを守ってくださるように」。アメリカのある教会で頂いた祝祷は、神が前後から、左右から、上下から守ってくださるように、と祈っていました。神の力強い守りを信じ今週の歩みを始めましょう。

10月19日のみことば

「主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる」(詩編139:1~4)

馴染みのない集まりに行ったとします。その主催者が私のことをよく知っている人だとすれば、私はきっと安心してそこにいることができるでしょう。神は私たちをよく知っておられます。どの程度? 「座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる」。だから平安です。

 

10月18日のみことば

「主はわたしのために/すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが/とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください」(詩編138:8)

詩人は自分にできる最善を尽くします。しかしその働きを用い祝してくださる神の慈しみ、力強く完成へと導いてくださる神の御手を信じているのです。使徒パウロも「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2:13/口語訳)と言っています。

10月17日のみことば

「わたしが苦難の中を歩いているときにも/敵の怒りに遭っているときにも/わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください」(詩編138:7)

「苦難の中を歩く」「敵の怒りに遭っている」、こういう状況が私たちの人生にもあります。しかし詩人は「神の右手」、即ち神の力に信頼するのです。カルヴァンは「神はわれわれを死の直中にあってさえも、一瞬ごとに生き返らせてくださるであろう」と注釈しています。今日一日も「神のみ手のうちにあるすべての救済策」に信頼して歩みましょう。

Loading...