6月1日のみことば

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1:13)

マタイ福音書が記す第3の誘惑は富と権勢。サタンは全世界の繁栄を一瞬のうちに見せ、「もしひれ伏してわたしを拝むなら…」とささやきます。しかし主イエスは「退け、サタン」「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(申命記6:13)とお答えになりました。サタンはアダムとエバに園の木の実を見せて誘惑したように(創世記1:6)、今も私たちの目に訴えます。私たちも主に倣って言いましょう、「退け、サタン」。

5月31日のみことば

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1:13)

マタイ福音書によれば、サタンから受けた第二の誘惑は奇跡でした。サタンは、神の子なら飛び降りたらどうだ、神は天使に命じて手であなたを支える、そうすると群衆は驚き、あなたを信じて従うだろう、と。私たちの心にも人々をあっと言わせたいし、そういう人についていきたいという誘惑が常にあります。しかし主は「あなたの神である主を試してならない」(申命記6:16)とお答えになり、この誘惑を毅然として拒否されました。

5月30日のみことば

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1:13)

初代のキリスト者たちは、主イエスがサタンから受けられた誘惑とはどのようなものだったのかを知りたいと思ったことでしょう。ですからマタイ福音書とルカ福音書は3つの誘惑を記したのです。最初の誘惑はパンの誘惑でした。「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」。確かに人間が生きるためにパンは必要です。主はそれを認めつつ、しかし「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8:3)とお答えになりました。

5月29日のみことば

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1:13)

主イエスは荒れ野に「四十日間」留まっておられました。ある注解者はこれを「旧約聖書との強いつながりのある『聖』数」と説明しています。「モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった」(出エジプト記34:28)。モーセが神のご意思を受けるためにシナイ山に「四十日四十夜」いたように、主も神の聖なる意思を受けるために荒れ野に「四十日間」とどまっておられたのです。神のご意思を知るための努力を大切にしましょう。

5月28日のみことば

「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した」(マルコ1:12)

主イエスがヨハネからバプテスマを受けられた後、聖霊が荒れ野に送り出したというのです。そこは「野獣」のいる場所です。そんな場所になぜ聖霊が…? ある注解者は「イエスのための神の道は栄光へ至る容易な道ではないことが明らかにされている」と説明しています。主イエスは荒れ野で何をすることが父なる神の御心なのかを真剣に問われたのです。これはキリスト者への貴い手本、私たちも神の御心を問いつつ一日一日を歩みます。

5月27日のみことば

「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マルコ1:11)

罪なき神の子イエスがヨハネからバプテスマを受けられました。マタイ3:15には「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしい」とあります。主は私たちに正しいお手本を示されたのです。その後父なる神からの声が聞こえます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。バプテスマを受けた私たちの心にもこの言葉がいつも明瞭に響きますように。

5月26日のみことば

「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」(マルコ1:8)

バプテスマのヨハネは水で人々にバプテスマを授けました。しかし神の子イエス・キリストは聖霊のバプテスマをお授けになります。聖霊のバプテスマは私たちに何をもたらすでしょうか。「イエスは主である」という信仰の告白を与えます。私たちが神の子であることを確信させます。私たちの心に主イエスに従う喜び、隣人を愛する喜びを与えます。そして聖霊は教会を形成します。今度の主日は聖霊降臨を記念する日。「聖霊よ、来てください」と祈りましょう。