1月24日のみことば

「忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる」(箴言14:29)

今日人間関係で面倒なことに出会ったとします。私たちは腹を立てるでしょうか。それとも冷静に受け留めてじっくり取り組む覚悟を決めるでしょうか。私は後者でありたいと思います。なぜならこの課題の取り組みを通して私たちに新たな英知が加わるからです。短気を起こして腹を立てると、私たちは英知を得るチャンスを失い、さらに一歩無知に近づくことになるからです。

1月23日のみことば

「主は彼の前を通り過ぎて宣言された。『主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち…』」(出エジプト34:6、数記14:18、詩編86:15他)

「忍耐」というと、なんだか消極的なイメージでとらえる傾向があります。苦しいことが過ぎ去るのをただじっと我慢することでしょうか。そうではありません。目標がしっかり定まっているからこそ、今なすべきことに思いと力を集中するのです。今日のみことばが示しているように「忍耐」は何よりも神ご自身のご性格なのです。私たちは感謝して神の忍耐に倣うのです。

(下のお花は廣房祐子姉が本日の礼拝のためにいけてくださいました。心より感謝し、主の祝福をお祈りします)

1月22日のみことば

「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえたちは、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた」(マタイ14:31)

荒れ狂うガリラヤ湖、弟子たちの舟は木の葉のように揺れています。主は彼らを救出しようと湖上を歩いて接近。それが主だと知ったペトロは湖上を歩いてみそばに。しかし強い風に気づいて怖くなり彼は波にのまれそうになります。その時主は「すぐに手を伸ばして捕まえ」てくださったのです。間髪を容れず、がっしりと、です。主の力強い御手は私たちを救うためにも延ばされるのです。

1月21日のみことば

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(ヨハネ15:4)

主イエスはご自身をぶどうの木に、私たちをその枝にたとえて、豊かな実を結ぶために主にしっかりつながることの大切さを教えられました。コロナウイルスのため人と人との距離をあけねばならなくなってもう3年。私はその間に心筋梗塞で入院し、家族に会えない辛さを実感しました。またホームに入所中の母に面会する時はガラス越し、対面でもフェイスシールドをつけたり…。それでも母は嬉しそうです。私たちはつながることが必要なのです。

1月20日のみことば

「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」(マタイ22:29)

確かに思い違いをしている人が多いのです。神を信じることは科学的な知識を捨てること、自由を失い窮屈になること、人間関係がぎくしゃくすることだと思い込んでしまうのです。今こそ正しい理解が必要です。聖書の神は善意に溢れたお方、私たちの生活にいつも善いものを与えようとしておられます。平安と喜びと希望と力で満たそうとしておられます。このような神を信じることはまさに心も体ものびのびすること、真に自由になることなのです。

1月19日のみことば

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ6:28)

心配事で心がいっぱいという人には、ジェームズ・ブライアン・スミスの『エクササイズ 生活の中で神を知る』が役に立つかもしれません。一日に5分静まって神が造られた世界を意識するのです。頭の中に湧き起こる心配事はひとまずノートに書き留め、慌ただしい生活のペースを落とし、偉大な芸術家である神の作品を静かに細心の注意を払って観察するのです。そうすると私たちの生活が一つの音色を持つ美しい音楽になってくるというのです。試してみたいですね。

(下の写真は外海町近くにあるドロ神父が設計施工した大野教会から見た夕陽です。しばらく見とれていました)

1月18日のみことば

「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ6:28)

「思い悩む」はギリシャ語ではメリムナオー。この言葉は良い使われ方もあります。テモテがフィリピ教会の人々を心にかける場合がそれです。しかしここで主が「思い悩むな」と言われるのは悪い場合です。様々な心配事で心がいっぱいで、神の愛・恵み・力への信頼が追い出されてしまっているのです。今すべきことは心に神を迎え入れ、心配事を一掃することです。

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