10月9日のみことば

「イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである』」(マルコ10:14)

主イエスの所に喜んでやってきた子どもたちを叱った弟子たち、その彼らに対する主の厳しい言葉がこれ。主の教会は幼い子どもたちを大切にします。主が幼子を抱き上げたように私たちも抱き上げ、主が心から祝福したように私たちも祝福します。幼子は教会の宝。

(下の絵画はドイツの画家フリッツ・フォン・ウーデ(1814-75)の「その子らを我に来させよ」)

10月8日のみことば

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マルコ10:9)

夫婦の関係について主が言われた言葉です。互いがより良いものとなるためにアダムとエバは助け手として出会わされました。だから「神が結び合わせてくださった」ことを感謝するのです。この関係を安易に、気まぐれに壊してはならない、むしろ守り育てていくよう励ましておられるのです。だが相手を大切にできず、自主性を認めず、言葉と力の暴力で傷つけるなら、それは別の問題。主は傷つけられている人を守ろうとなさるでしょう。

10月7日のみことば

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9:50)

塩は良いものです。腐敗を防ぎ、食物を美味しく味付けします。私たちの心に宿る主イエスの言葉は塩のようなもの、私たちを憎しみや怒りという腐敗から守り、義と愛を育てます。私たちはお互いを兄弟姉妹として尊び、愛し、平和に過ごすことが可能になります。

10月6日のみことば

「わたしを信じるこれらの小さな者の一人つまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」(マルコ9:42)

主イエスを信じて歩み始めた人のために私たちは祈り、信仰を育てるのに有益な言葉を語り、必要な手助けしたいものです。間違っても悪い手本を示したり、キリスト者にあるまじき言葉を語って信仰の躓きを与えてはなりません。主イエスはそのようなことを決してお喜びにはなりません。私たちは互いに助け合うために兄弟姉妹とされているのです。

9月5日のみことば

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9:50)

塩は良いものです。腐敗を防ぎ、食物を美味しく味付けします。私たちの心に宿る主イエスの言葉は塩のようなもの、私たちを憎しみや怒りという腐敗から守り、義と愛を育てます。私たちはお互いを兄弟姉妹として尊び、愛し、平和に過ごすことが可能になります。

10月4日のみことば

「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9:40)

主イエスに敵対する立場に立っていない人、主の弟子たちの喉の渇きをいやすために水いっぱいでも飲ませてくれる人のことを、主イエスは味方だと言われるのです。マタイ福音書25章35節以下ではそのような人は神の国に入ることを許されるというのです。そう考えると、私たちは多くの親切を受けており、私たちは想像以上に多くの味方を持っていることに気づかされます。主よ、与えてくださった多くの理解者や協力者に感謝します。

10月3日のみことば

「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(マルコ9:37)

主イエスの共同体の特色はこれです。子どものように弱い立場の人に心を向け、真ん中に置き、愛の手を伸べるのです。実は、彼らを迎えることは主イエスと父なる神を迎えることなのです。父なる神と御子イエスがいてくださるところこそ恵みに満ち溢れています。