12月19日のみことば

「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:12)

もし神の独り子が宮殿の奥深くに誕生されたら、ごく限られた人以外は誰も近づくことができなかったでしょう。しかし馬小屋の飼い葉桶ならあの羊飼いたちも安心して近づくことができました。この近づきやすさこそ、幼子イエスの救いが全ての人に備えられており、私たちも招かれていることの明確なしるしです。さあ、幼子のもとへ急ごうではありませんか。

 

12月18日のみことば

「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:6~7)

先だって東京・上野の森美術館に「フェルメール展」を観に行きました。電車の中で一人の青年から「どうぞ」と席を譲られました。「まだそんな年じゃないけど…」と思いながら「いえ、大丈夫です」と辞退しましたが、その優しさを嬉しく思いました。出産間近のマリアのために場所を譲る人はいなかったのでしょうか。みんな自分のことだけ考えていたようです。

12月17日のみことば

「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(マタイ2:11)

東方の博士たちは携えてきた黄金、乳香、没薬を恭しく幼子イエスに献げました。ルターは『クリスマスブック』の中で、乳香は信仰の象徴で全ては神のものと信じ、黄金は希望の象徴で憤らず、忍耐をもってすべてを耐え、他者に対する心遣いで満たし、没薬は愛の象徴で心から神を愛し、自分自身を神の喜びたもうところに委ねるよう導く、と言っています。

12月16日のみことば

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2:2)

東方の博士たちが見た星とはどのようなものだったのでしょうか。諸説あります。新生、彗星、あるいは魚座の中で木星と土星が大接近する惑星合。魚座は終末時代、木星は王、そして土星はパレスティナ、すると「終末時代の新しい王がパレスティナに誕生」という意味になります。どの説を採るにしろ「拝みにきた」という博士たちの行動力こそ注目に値します。

12月15日のみことば

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)

これは天使ガブリエルが「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」と受胎を告知した時のマリアの言葉です。2007年にレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を、2016年に「糸巻きの聖母」を観ました。歴代の優れた画家たちはマリアのこの信仰を美しく尊いものとして描きました。それを観る私たちは深く心打たれ、マリアの信仰に倣いたいと願うのです。

12月14日のみことば

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)

これは天使が幼子イエスの養父となったヨセフに語った言葉です。この幼子を通して「神は我々と共におられる」ということが実現するというのです。どんな時もです。喜びの時も、悲しみの時も、病床でも、今まさに生涯を終えようとする時もです。またどこにいてもです。なんと大きな約束でしょうか。独り子キリストよ、あなたの誕生を心より感謝します。

12月13日のみことば

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2:2)

これは東方の博士たちの言葉です。彼らは、ヘロデ大王の宮殿にではなくベツレヘムの馬小屋に救い主である幼子を探し当て、ひれ伏して拝むのです。この後彼らは登場しません。彼らは幼子イエスを拝む、ただこの一事のために旅をしてやってきたのです。彼らがこの幼子の祝福の内に生涯を過ごしたことは容易に想像できます。礼拝こそは祝福の源なのです。

Loading...