5月26日のみことば

「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:8)

3才の子どもが幼稚園で習った聖句を母親の前で暗唱しました。「神は愛です」。自分も幼かった日にこの聖句を教わったと母親は思いました。そしてこう考えたそうです。もしわたしが、神のこの愛に完全に捕えられるなら、その時こそ、神はわたしを用いて沢山の美しく貴い御業をなさるに違いない、と。確かにそうです。今日一日、ちょっとした時間にも「神は愛です」と口ずさみ、神の愛が自分を包んでいることに思いを馳せましょう。

5月25日のみことば

「愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル」(Ⅰコリント13:1)
渡辺和子先生が「雑用という仕事はない。仕事を雑にするから雑用になる」とおっしゃっいました。一つ一つの仕事に愛と祈りを込めて丁寧にするなら、それはきっと神への捧げもの、他者への贈り物になるのでしょうね。そして私たちの心には大きな充足感が生じることでしょう。「雑用に祈りをこめて」、このアドバイスに従って今日を生きてみることにします。

5月24日のみことば

「主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください」(詩編86:6)

今週は『主婦の祈り』を手引にしていますが、今日では「主婦」という言葉には抵抗があるかもしれません。原題は「忙しくて祈らずにおれない」Too Busy Not To Pray。「あなたと共にいるこのしばらくの時間こそ、山と積まれたアイロンかけより、ずっと大切なことなのです」。著者は静かな祈りから新たな力と確かさが湧いてくることを確信しています。

5月23日のみことば

「主を呼ぶ人すべてに近くいまし/まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし」(詩編145:18)

祈る時、神は私たちの近くにいてくださいます。昨日ご紹介した祈りの本にあった言葉です。「主よ、祈りのときを過ごしたことで、より強く、心のわずらいを静めたことで、より良く、上に身を乗り出しただけでも、あなたにより近くなっているのです」とありました。だから今朝も心からの信頼をもって「天の神様…」と祈りたいと思います。

5月22日のみことば

「静かな細い声が聞えた」(列王記上19:12)

これは預言者エリヤが経験したことです。ジョー・カー、エモジン・ソーレーの『主婦の祈り』にこんな言葉が出てきます。「ちょっと耳を傾けてごらん 神がお語りになるのよ」。私のような平凡な土の器などに…。しかし言われた言葉が忘れらず、ある日その言葉を信じて頭をそっと垂れたのです。「静かな夜明けにわたしは聞いた 神がわたしにお語りになるのを」。耳にではなく心に。主よ、私たちの心にもあなたの「静かな細い声」を聞かせてください。

5月21日のみことば

「わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」(マタイ6:12)

この祈りを必要としない人がいるでしょうか。ユダヤの宗教家たちが罪ある女性を主の前に引っ立てました。しかし主が「罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われた時、年長者から順にその場を立ち去ったのです。人間は「毎日、ことごとに、罪を犯すことなしに生きていくことができない」存在でした。私たちには今日もこの祈りが必要です。「神の心の中心には、赦したいという願いと、与えたいという願いがある」(リチャード・フォスター)。

5月20日のみことば

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)

神は私たちの今日の食卓にさえ心を配ってくださいます。主イエスは「あなたがたの天の父は空の鳥を養ってくださる」(マタイ6:26)と言われました。それほど愛深いお方なのです。ぜひ心に留めたいのは、明日の糧でも将来の糧ではない、今日の糧。さらに自分だけの糧ではなく、今地球に生きる「わたしたち」みんなに必要な糧を主は問題にしておられます。私たちはその日の糧にも事欠いている人々を配慮すべきであり、むざぼってはならないのです。

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