6月10日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

聖霊は誠実という結ぶ力です。私が今日関わりを持たねばならない人は、私がよく知らない人であるかもしれないし、ちょっと面倒な問題を持ち込む人かもしれません。また私の多くの時間を割かねばならないかもしれません。しかし彼は主イエスの友人であるかもしれないのです。どうぞ誠実な対応ができるよう、聖霊よ、私を導いてください。

6月9日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

聖霊は「親切」「善意」という実を結びます。私自身の心にはある人々から頂いた親切な言葉、優しい眼差し、善意の数々が宝物のように収められています。それを思い出す度に、私はとても幸せな気持ちになります。反対に、心の深みに隠し持っている悪意から出た言葉や態度に出会う時、心が震えます。聖霊よ、いつも他者の幸福を願う者にしてください。

6月8日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

聖霊は「寛容」という実を結びます。寛容とは怒ることを遅くすること、長く忍耐すること。箴言の知恵の教師は「怒りやすい人はいさかいを引き起こし/激しやすい人は多く罪を犯す」(29:22)と言い、だから「怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな」(22:29)と警告しています。聖霊よ、どうか私の心に寛容さを育ててください。

6月7日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

昨日紹介した「喜びはわが心に」の3節の歌詞をご紹介します。「はかりしれない平和あり、心に、心に、はかりしれない平和あり、心にあり」。使徒パウロはフィリピ教会の友に宛ててこう書いています。「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」。聖霊よ、その平和を私たちにください。

6月6日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

聖霊は「喜び」という実を結ぶ力です。商店などで在庫調査をすることを「棚卸し」と言います。私たちの心の棚卸しも必要です。心から容易に消えてしまうものは喜びだからです。小学生の頃、教会学校で教わったさんびかがあります。「喜びはわが心に、心に、心に、喜びはわが心に、心にあり」。聖霊よ、私の心に沸き起こる喜びを与えてください。

 

6月5日のみことば

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)

聖霊は様々な「実」を結ばせる力です。その実は豊かです。神学者・青野太潮先生が岩波訳聖書で言われるように、聖霊の実のすべてを数えあげることはできないのです。しかし使徒パウロがⅠコリント13:13で言うように、最も大いなる実が「愛」であることは確かです。それはいつまでも存続する実です。聖霊よ、私の心に愛を育ててください。

6月4日のみことば

「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無にひとしい」(Ⅰコリント13:2)

渡辺和子先生が「雑用という仕事はない。仕事を雑にするから雑用になる」とおっしゃいました。ジョー・カーとエモジン・ソーレーは『主婦の祈り』の中で「もし、モップかけを雑役などとは考えずに、『召し』と考えるなら、主よ、どれほどの違いがでてくると、お思いですか」と書いていました。私たちが一つ一つの仕事に愛と祈りを込めるなら、それは神への捧げもの、隣人への贈り物になるのです。

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