1月15日のみことば

「初めに神は天地を創造された」(創世記1:1)

聖書の冒頭の言葉です。なんと大胆で勇壮な表現でしょう。人間の小賢しいあれこれなど一切介さず、一点の曖昧さもなく聖書は「神は…」と語り始めるのです。旧約聖書学者だった松田明三郎先生の次の言葉をいつも思い出します。「聖書開巻のこの偉大なる思想は、宇宙科学の発達した現代の人々にとっても、古代人と同様に新しい霊感の源泉である」「そこにはすべての生命の根源である神に対する剛健な信仰が鼓動している」(『旧約略解』4頁)。私たちも今年、どのような荒波にも負けない剛健な信仰を養いましょう。

1月14日のみことば

「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」(ヘブライ3:13)

教会はキリストの福音の喜び、み言葉の恵みを分かち合う共同体です。宗教改革者カルヴァンは次のように言っています。「自己満足で虚しいお喋りは、教会の内的な命の発育を促すことなく、霊の力を窒息させ、高慢だけを膨らませる。霊の本当の力、預言者の威厳、使徒の確信を何ら感じさせないような教えはどれもが、これにあてはまる」。素朴な福音によって生き生きと生かされたいと願います。

1月13日のみことば

「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう」(ホセア6:3)

2023年1月も半ば、例年この頃になると、今年も変わりばえのしない一年になるのかなあと思います。しかし私は預言者ホセアの言葉を真剣に受け止めたいと思います。ホセアは言葉を続けます。「主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる」。「我々の真の幸福はこの神のうちに生きることにあり、我々の真の災いはこの神から離れ去るにあるということにある」(パスカル『パンセ』430)。

1月12日のみことば

「世界とその中の万物とを造られた神は天地の主ですから…何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」(使徒17:24~25)

神は私たちが必死になって支えなければ弱体化してしまうようなお方ではありません。反対に神が私たちを、教会を支えておられるのです。神を見くびってはなりません。この確信に立つことが必要です。パスカルは言っています。「教会がもはや神によってしか支えられていない時、それは何と美しい状態であろうか!」(『パンセ』861)

1月11日のみことば

「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(エフェソ4:3)

「霊による一致」という言葉に出会うと、私はガラテヤ5:19~21(口語訳)の対照的な「肉の働き」の一覧表を思い出します。「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである」。宗教改革者カルヴァンはある牧師に当てて次のように書いています。「私には、敬虔な人々の愛と教えにおける互いの一致が、この上ない慰めです」。聖霊が私たちの交わりに静かに、確かに働いてくださいますように。

1月10日のみことば

「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5:16)

私たちは祈りをもっと大切にしたいと思います。祈りの「大きな力」「効果」に改めて心を留めましょう。神学者ルドルフ・ボーレンの言葉を心に留めたいと思います。「ちがう祈り方を教えてください。かの使徒と改革者は、祈ることで彼らの世界を変えた。彼らのように祈ることを教えてください」。主よ、忙しすぎてボロボロになりかかっている私たちの心、混乱した人間関係を祈りによって美しく整えてください。

1月9日のみことば

「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい」(Ⅰテモテ4:7)

「鍛えなさい」を口語訳は「訓練しなさい」と訳し、ボーレンは「修練しなさい」と記しています。宗教改革者カルヴァンは「修練しなさいとパウロが言うとき、彼はまさに信仰という営みが熱意と努力を要することを示している」と記しています。熱意も努力も必要としない信仰は脆く、人生の危機的状況の中で私たちを支える堅固な土台にはならないでしょう。今日は成人の日、聖書に真剣に取り組むことを新たに決意したいですね。

 

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