1月4日のみことば

「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある」(コヘレト3:1、17)

その「時」を定めるのは誰でしょうか。知恵の教師は「それは神」と答えます。箴言19:21には「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」とあります。神は預言者エレミヤを通して、あなたたちのために立てた(平和、将来、希望の)計画をわたしはよく心に留めている(エレミヤ28:11)と言われます。今年、神のご計画の進捗に期待します。

1月3日のみことば

「代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽しむものとして、創造する」(イザヤ65:18)

エルサレム、それは神の民を象徴する言葉です。神は私たちの存在を心底喜び楽しまれます。私たちがいつも、そしてとこしえに喜び楽しみ、喜び躍る存在として創造されたというのです。もし私たちの子どもが悲しんだり、嘆いたり、苦しんだり、恐れたりしているなら、親の心は心配でいっぱいです。神の心はそれ以上です。神は私たちを喜び楽しませようとされます。

1月2日のみことば

「知恵と知識は救いを豊かに与える」(イザヤ34:6)

今日のみことばを読み、W.バークレーの『明日への祈り』にある年頭の祈りを思い出しました。一部ご紹介します。「父なる神よ、この年にわたしたちに望みたもうことを示し、それを行う力、勇気、そして決心をお与えください」「進歩のない生活を送ることがないようにしてください。勤勉に学ぶ心が与えられ、わたしたちの心に人々とあなたのために用いる知識を備えることができますように」。この祈りを捧げつつ新しい年の一日一日を歩みたいものです。

2021年1月1日のみことば

「主はあなたの時を堅く支えられる」(イザヤ33:6)

新年あけましておめでとうございます。昨年は新型コロナウイルスに悩まされた一年でした。今年もなお私たちは注意を怠ってはならないでしょう。しかし同時に神が私たちの一年を、一日一日を堅く支えてくださることも忘れないようにしたいと思います。そうでないと、私たちは不安と恐れの嵐に呑み込まれてしまうでしょうから。J.H.ジョットの祈りを捧げました。「古い務めを新しく、わたしの思いやりも、わたしの憧れも、みな新しくしてください」。

12月31日のみことば

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。」(イザヤ43:19)

今日は大晦日、この日を迎えることができた安堵と同時に、明日からの新しい歩みへの期待があります。神は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている…それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ28:11)と言われ、さらに「新しいことを行う。今や、それは芽生えている」と言われます。

12月30日のみことば

「新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ」(詩編33:3)

2020年も今日と明日を残すだけです。新聞もテレビも「今年の〇〇大ニュース」を報じていますが、何と言っても筆頭は新型コロナウイルスでしょう。ところでテレビでは年末年始にかけてお笑いや歌の番組の連続です。それもいいと思います。しかし私たち神を信じる者には別に「新しい歌」があります。「新曲」というのではなく質的に新しい歌、神をほめ讃える歌です。今年以上に2021年も「美しい調べ」に乗せて「喜びの叫び」をあげたいものです。

12月29日のみことば

「その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」(ルカ1:54~55)

聖書が伝えている神は、公平と正義の神(イザヤ書32:16)です。しかしその正義は鉄のように冷たく硬いだけのものではありません。その内に憐れみを包み込んでいるものなのです。私たちは憐れみ深くあろうとしても、すぐメッキが剥げてしまいますが、神の憐れみは変わりません。お忘れになりません。というより、憐れみは神のご本性そのものなのです。