9月17日のみことば

「身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます」(詩編3:8)

神学者ルドルフ・ボーレンの『祈る パウロとカルヴァンとともに』に「眠っているあいだに神はご自身の民に恵みを贈る」という言葉がありました。一体何を下さるのでしょうか。快い眠りがそうであるように、さわやかな朝の目覚め、心に溢れる気力、身体に充満する力も神からの贈り物でしょう。今日の課題に真剣に取り組み、主のご栄光を表したいと願います。

9月16日のみことば

「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです」(詩編4:9)

一日の働きを終え、安らかな眠りにつくことができる人は幸せな人です。巨万の富を持ちながら不安と恐れのためになかなか眠れない人もいることでしょう。そう考えると、安らかな眠りは神からの賜物だと思います。まだ朝ですが、今夜そんな眠りが訪れますように。

9月15日のみことば

「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」(マタイ6:12)

初代のキリスト者は日に三度「主の祈り」を捧げていました。従って罪の赦しも三度真剣に求めたことになります。カトリックには「告解」がありますがプロテスタントにはなく、私たちはいつしか悔い改めが個人的な事柄になり、軽んじられているような気がします。私は主の晩餐式の度に自らの罪を主に告白し、赦しを乞い、主との絆を新たにする機会として大切に守っています。

9月14日のみことば

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)

「今日」という日を軽んじる人は「昨日」も「明日」も軽んじてしまうでしょう。今日を生きることに真剣に向き合い、今日の課題に誠実でありたいのです。ある本に「生活そのものが宗教行為」「食卓を祭壇とする」とありました。家族で食卓を囲み、豊かな糧を与えてくださった神に感謝し、農業や流通に従事した人、調理した人にも感謝しましょう。そして今日食べ物に事欠いている人にも思いを馳せて祈る、このような食卓は貴い祭壇ですね。

9月13日のみことば

「あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(マタイ6:4)

神は私たちが人知れず行う祈り、善行、奉仕をそっと見ておられるのです。40年前の日曜日の早朝、ホートン宣教師が汗を流しながら教会の芝を刈っている姿を目撃しました。彼は私に「誰にも言わないで」と言い、礼拝時間にはいつもと変わらぬ涼しげな顔で姿を表したのでした。あの働きを神は喜んで受け入れてくださったに違いないと思いました。神への奉仕の姿を深く学んだ時でした。

9月12日のみことば

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)

「み言葉の働く領域に身を置く」。ある神学者の言葉が心に残ります。キリストは良い羊飼いです。主の御声が聞こえないほど遠い場所にいる羊はいつも危険にさらされています。今日もキリストのみそばに身を置き、命の言葉を豊かに頂きたいですね。

9月11日のみことば

「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』」(マタイ8:26)

先日梅林に転居して初めての台風を経験しました。明け方から繰り返し雨戸を激しく打つ風雨、時間が経つほどに激しさを増すような感じです。瓦が吹き飛ばされ、隣家の車に降りかかったら…。早くおさまってほしい…。なかなか寝付けません。「主よ、お守りください」。そんな私に主は「なぜ怖がるのか。あなたの信仰はどこ?」と問われました。その時の主の御顔はことのほか優しく、御声は励ましに満ちていました。それからまもなく私は安らかな眠りに落ちました。

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