1月11日のみことば

「神に従う人の望みは常に良い」(箴言11:23)

玄田有史氏の『希望のつくり方』によれば、夢は無意識にみるものであり、希望は意識的に持つものだと言います。今日の聖句によれば、神に逆らう者も神に従う者もみな意識的に希望を持つのですが、その結果は全く違うと言います。前者の希望は「(神の)怒りに終る」が、後者の希望は「(神の恵みを頂き)良い(結果に至る)」と言います。しかも「常に!」。何と感謝なことでしょう。私たちは2021年も神に従う者としての歩みを続けたいと願います。

1月10日のみことば

「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」(Ⅰペトロ3:15)

私がこれまでも、今も、そしてこれからも抱き続けるであろう希望について説明したいと思います。それは主イエスを死者の中から復活させた神の力への信頼によるものです。多くの人は嘲笑します。使徒パウロがアテネの哲学者たちにこのことを語った時もそうでした。しかしパウロにとって神のこの全能こそ福音の根源、希望の根拠でした。私たちにとっても同様です。

1月9日のみことば

「あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです」(Ⅰペトロ1:21)

年末から今まで私は「希望」という言葉に心を捕えられています。作家・村上龍氏の『希望の国のエクソダス』に出てくる言葉。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」。聖書は、その希望は神にかかっていると言っているのです。

1月8日のみことば

「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え…」(Ⅰペトロ1:4)

昨日に引き続き『希望のつくり方』より。希望が失われがちな現代、最も欠けている言葉は「大丈夫」という言葉だそうです。「心配ないよ、安心して」と言ってくれる家族や友人の存在が大切さ。私の母の口ぐせは「いまに春が来る!」でした。「神は生き生きとした希望を与え」とあります。大きな課題の中で母自身、神からの「大丈夫!」を聞いていたのでしょう。

1月7日のみことば

「確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない」(箴言23:18)

玄田有史氏の『希望のつくり方』に、遠藤周作氏が語った「苦(くる)楽(たの)しい」という言葉が紹介されています。苦しいばかりで楽しいことがまったくない生活はもちろん嫌ですが、楽しいことだけの生活もすぐに飽きてしまう。苦しさもあるけれど、それを越えた先で楽しさに出会える、そんな生活を「苦(くる)楽(たの)しい」と言ったのだそうです。確かにそうです。箴言の知恵の教師も、今は苦しいが、先には確かな希望がある、だから今日をしっかり!と激励しているのでしょう。

1月6日のみことば

「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている」(詩編62:6)

私たちを失望させ、あるいは絶望させる出来事はいろいろあります。しかし神は私たちに希望をお与えになります。宗教改革者マルティン・ルターは「神さまは復活の約束を聖書のうちばかりでなく、春の若葉の一枚一枚に書き記していらっしゃる」と言っています。今は真冬です。近くの木を見ましょう。春に新芽を出そうと黙々と準備中です。神こそ希望の源です!

1月5日のみことば

「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)

ある人の言葉です。「現実はこうだと教えてくれる人はたくさんいます。今、わたしたちがもとめているのは現実のかなたにある可能性を語る人です」。そのとおりです。正確な現状分析は大切です。しかしそこで終わってしまう場合が多いのです。私たちを愛してやまない主イエス・キリストは、私たちにどんな状況下でも決して尽きない希望を与えてくださるお方です。