1月9日のみことば

命の道を教えてください。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。(詩編16:11)

あなたは今日どんな道を歩むでしょうか。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われました。主イエスが示してくださる道こそ命の道。その道を歩いているなら、あなたはきっと不思議に満ち足り、喜び祝い、永遠の喜びを溢れるばかりにいただくことでしょう。この道を歩むあなたに悲しげな顔は似合いません。「うたいつつ歩まんハレルヤ、ハレルヤ」。

1月7日のみことば

暴力の道を避けて、あなたの道をたどり、一歩一歩、揺らぐことなく進みます。(詩編17:5)

「暴力の道」とは他者を傷つけてでも自分の目的を達成しようとする荒々しい生き方のことです。しかし詩人はそういう道を選ばないで、神が示したもう平和の道、自他共に恵みを受ける道を一歩一歩前進します。一度に二歩も三歩も進もうとは思いません。一歩でよいのです。遅いかもしれない、しかしその一歩一歩は決して揺らがないのです。あなたは今日もそのような一歩を踏み出しています。

1月8日のみことば

御前からわたしのために裁きを送り出し、あなた御自身の目をもって公平に御覧ください。あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね・・・。(詩編17:2~4)

人の口に戸はたてられないが、あたかも悪者であるかのように言われるのは辛いものです。しかし神が神の目をもって一切を公平に御覧くださり、その上で「よし」とおっしゃってくださるなら安心していましょう。慌てる必要はないのです。もし改めるべき点に気づかされた、意固地にならずにすみやかに改めましょう。そこから祝福は始まるのですから。

1月6日のみことば

瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰に隠してください。(詩編17:8)

私は両眼とも網膜剥離の手術を受けました。右目は園児との正面衝突、左目は老化によるものでした。ですから眼の大切さはよく分かります。詩人が「神様はあなたを瞳のように守られる」と言う時、言葉に表現できないような有難さを感じます。神は今日もあなたを瞳のように守っておられます。悪意ある者があなたを傷つけることを神はお許しにならないのです。

1月7日のみことば

暴力の道を避けて、あなたの道をたどり、一歩一歩、揺らぐことなく進みます。(詩編17:5)

「暴力の道」とは他者を傷つけてでも自分の目的を達成しようとする荒々しい生き方のことです。しかし詩人はそういう道を選ばないで、神が示したもう平和の道、自他共に恵みを受ける道を一歩一歩前進します。一度に二歩も三歩も進もうとは思いません。一歩でよいのです。遅いかもしれない、しかしその一歩一歩は決して揺らがないのです。あなたは今日もそのような一歩を踏み出しています。

1月5日のみことば

御もとに隠れる人には、豊かな食べ物をお与えください。子らも食べて飽き、子孫にも豊かに残すように。(詩編17:14)

アフリカの子どもたちがやせ細り、飢えに苦しんでいる姿を見ると、心が痛みます。わが国も戦時中は食料事情が悪く、白米のおにぎりが素晴らしいご馳走だったと聞きました。豊かな食べ物は神の恵みです。改めて主の祈り「わたしたちに必要な糧を今日も与えてください」(マタイ6:11)の大切さを思います。「わたし」ではなく「わたしたち」! 神はあなただけでなくあなたの子ら、孫たちも恵まれるでしょう。同時に世界中の飢えている人に豊かな食べ物を、貧しい人に生きるに必要なものを与えてくださいと祈りましょう。

1月6日のみことば

瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰に隠してください。(詩編17:8)

私は両眼とも網膜剥離の手術を受けました。右目は園児との正面衝突、左目は老化によるものでした。ですから眼の大切さはよく分かります。詩人が「神様はあなたを瞳のように守られる」と言う時、言葉に表現できないような有難さを感じます。神は今日もあなたを瞳のように守っておられます。悪意ある者があなたを傷つけることを神はお許しにならないのです。

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