1月16日のみことば

主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。(詩編14:2)

今日も主イエスは真の信仰者を探しておられます。マタイ福音書8:5以下に主イエスが百人隊長の中風の僕を癒された記事があります。主が「あなたの家に行って癒してあげよう」と言われた時、「ただお言葉をください。そうすれば僕はよくなります」と彼は言いました。主は感動して「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と言われました。主イエスの言葉に信頼する者でありたいと願います。

1月14日のみことば

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。・・・それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実な言葉があり・・・・。(詩編15:1~2)

神の御側に生きることを許されるのはどのような人でしょうか。「完全な道」とは神が示したもう道、その道を一歩一歩歩むこと。「正しいこと」とは兄弟姉妹を愛すること。焦らなくていい、ゆっくりていねいに行いましょう。それを神に捧げる一輪のバラとして。

1月15日のみことば

神は従う人々の群れにいます。(詩編14:4~5)

この世の権力者は、大きな群れを強大なものとして尊び、小さな群れを弱小なものとして軽んじます。しかし問題は大きいか小さいかではありません。その群れに誰がいるか、です。私たちの群れには天地を創造された神、私たちを愛してくださる神が共にいます。ルカ12:32で主イエスは「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」と言われました。

1月13日のみことば

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。・・・舌には中傷を持たない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。(詩編15:1,3)

神の御側に生きることを許されるのは誰でしょうか。親しい友人を中傷しない人、嘲らない人、災いをもたらさない人だと言います。悪口を言い合うのは楽しいかもしれない、しかしそうしている時の自分の顔を鏡に映してみるがよい、きっと自分でも驚くほど醜いに違いありません。だから使徒パウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4:29)と言ったのです。今日一日それを試みてみたらどうでしょうか。

1月14日のみことば

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。・・・それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実な言葉があり・・・・。(詩編15:1~2)

神の御側に生きることを許されるのはどのような人でしょうか。「完全な道」とは神が示したもう道、その道を一歩一歩歩むこと。「正しいこと」とは兄弟姉妹を愛すること。焦らなくていい、ゆっくりていねいに行いましょう。それを神に捧げる一輪のバラとして。

1月12日のみことば

主はわたしに与えられた分、わたしの杯、主はわたしの運命を支える方。(詩編16:5)

あなたの前に富と名声と権力と、そして神があるとします。あなたはどれを選ぶでしょうか。詩人は迷うことなく神を選ぶと言います。なぜなら神こそすべての良いものの源だからです。神ご自身が自分に割り当てられた分け前とはずいぶん思い切った言い方ですが、なんとすばらしいことでしょう。「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです」(ヤコブ1:17)。

1月13日のみことば

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。・・・舌には中傷を持たない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。(詩編15:1,3)

神の御側に生きることを許されるのは誰でしょうか。親しい友人を中傷しない人、嘲らない人、災いをもたらさない人だと言います。悪口を言い合うのは楽しいかもしれない、しかしそうしている時の自分の顔を鏡に映してみるがよい、きっと自分でも驚くほど醜いに違いありません。だから使徒パウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4:29)と言ったのです。今日一日それを試みてみたらどうでしょうか。

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