1月18日のみことば

あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います。「主はわたしに報いてくださった」と。(詩編13:6)

私は時々この詩編を病床にある友や大きな課題の中にある友に贈ります。不安や恐れに私たちの心を支配させてはなりません。私たちは顔を神にしっかりと向け、計り知れない神の慈しみを思い、「わたしはあなたの慈しみに依り頼みます」と言い切るべきです。神は私のためにきっと良いことをしてくださると確信します。

1月19日のみことば

わたしの神、主よ、・・・わたしの目に光を与えてください。(詩編13:4)

詩人は13:3で「いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか」と言います。先週の歩みがそのようなものであったとしても、今週は主がわたしたちの目に希望の光を与えてくださる日でしょう。初代のキリスト者たちは朝の光の中で復活の主を覚えつつ礼拝を捧げました。「今日はひかりをたまいし日なり、こころの闇に照りいでたまえ」(「讃美歌」1954年版)。

1月17日のみことば

神を知らぬ者は心に言う、「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はない。(詩編14:1)

神を信じるということは些細なことでしょうか? 決定的に重要なことです。神への信仰と私たちの生き方は切り離しがたく結びついています。神への信頼と愛が失われる時、私たちの心は腐敗し始めます。善ではなく忌むべきことを行い始めます。神への信頼と愛こそ人への愛と愛の育つ豊かな土壌だと私には思えます。

1月18日のみことば

あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います。「主はわたしに報いてくださった」と。(詩編13:6)

私は時々この詩編を病床にある友や大きな課題の中にある友に贈ります。不安や恐れに私たちの心を支配させてはなりません。私たちは顔を神にしっかりと向け、計り知れない神の慈しみを思い、「わたしはあなたの慈しみに依り頼みます」と言い切るべきです。神は私のためにきっと良いことをしてくださると確信します。

1月16日のみことば

主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。(詩編14:2)

今日も主イエスは真の信仰者を探しておられます。マタイ福音書8:5以下に主イエスが百人隊長の中風の僕を癒された記事があります。主が「あなたの家に行って癒してあげよう」と言われた時、「ただお言葉をください。そうすれば僕はよくなります」と彼は言いました。主は感動して「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と言われました。主イエスの言葉に信頼する者でありたいと願います。

1月17日のみことば

神を知らぬ者は心に言う、「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はない。(詩編14:1)

神を信じるということは些細なことでしょうか? 決定的に重要なことです。神への信仰と私たちの生き方は切り離しがたく結びついています。神への信頼と愛が失われる時、私たちの心は腐敗し始めます。善ではなく忌むべきことを行い始めます。神への信頼と愛こそ人への愛と愛の育つ豊かな土壌だと私には思えます。

1月15日のみことば

神は従う人々の群れにいます。(詩編14:4~5)

この世の権力者は、大きな群れを強大なものとして尊び、小さな群れを弱小なものとして軽んじます。しかし問題は大きいか小さいかではありません。その群れに誰がいるか、です。私たちの群れには天地を創造された神、私たちを愛してくださる神が共にいます。ルカ12:32で主イエスは「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」と言われました。

TOP