6月15日のみことば

主なる神をたたえよ…ただひとり驚くべき御業を行う方を。栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ、栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。(詩編72:18~19)

今日は日曜日・礼拝の日、私たちの目を神に向けましょう。心を集中して神を礼拝しましょう。澄んだ目をもって世界を見ましょう。そこに満ち溢れている神の恵みを見ましょう。そして讃美を捧げましょう!礼拝する心こそ人間の品位ですから。

6月13日のみことば

ひるがえって、わたしを力づけ/すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。(詩編71:21)

他の翻訳では「向きなおって私を励ましてください」となっています。神はわざわざ私の方に向きなおって、私たちの顔をじっと見つめながら、安心しなさい、心配しないでいい、私はあなたを祝福すると言われるのです。あなたが今悲しんでいるなら、さあ、顔をあげてごらんなさい。そこに神のほほえみがあります。

6月14日のみことば

王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。(詩編72:4)

政治家は何のために存在するのでしょう? 貧しい人々の訴えにしっかり耳を傾け、虐げる者から彼らを徹底して守り、安らかに生きることができるようにするためです。それはまさに神のなさり方に倣ったもの。しかし残念なことに、しばしばこの世の支配者はそれとは反対のことをしてきました。貧しい者を苦しめる、それは決して神に喜ばれないのです。これは現代の政治家にも求められることですね。

6月12日のみことば

神よ、わたしの若いときから/あなた御自身が常に教えてくださるので/今に至るまでわたしは/驚くべき御業を語り伝えて来ました。(詩編71:17)

「三つ子の魂百まで」と言います。幼い頃に心に刻まれたものは生涯を導く力となります。幼稚園に通う子の母親から聞いた話。年少クラスで最初に習った聖句は「神さまは愛です」。スーパーで買い物をしていたら急に「神さまは愛です」と言ったので、びっくりするやら嬉しいやら。静かな仕方で学んでいるのですね。愛の神がこの幼子の生涯を導き祝してくださいますように。

6月13日のみことば

ひるがえって、わたしを力づけ/すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。(詩編71:21)

他の翻訳では「向きなおって私を励ましてください」となっています。神はわざわざ私の方に向きなおって、私たちの顔をじっと見つめながら、安心しなさい、心配しないでいい、私はあなたを祝福すると言われるのです。あなたが今悲しんでいるなら、さあ、顔をあげてごらんなさい。そこに神のほほえみがあります。

6月11日のみことば

わたしの口は恵みの御業を/御救いを絶えることなく語り/なお、決して語り尽くすことはできません。(詩編71:15)

以前、『年寄りの話はなぜ長いのか』(高田明和著、東洋経済新報社)という本を読みました。その理由の一つは、自分の体験は誰にとっても当てはまる有益なものだと考えるからだそうです。話は短いに限ります。しかし神の恵みに関しては別です。私たちは語りつくすことができないほど多くの恵みを頂いているのです。今日時間のある時に一つ二つと数えてみましょう。不平不満から感謝に変わることでしょう。

6月12日のみことば

神よ、わたしの若いときから/あなた御自身が常に教えてくださるので/今に至るまでわたしは/驚くべき御業を語り伝えて来ました。(詩編71:17)

「三つ子の魂百まで」と言います。幼い頃に心に刻まれたものは生涯を導く力となります。幼稚園に通う子の母親から聞いた話。年少クラスで最初に習った聖句は「神さまは愛です」。スーパーで買い物をしていたら急に「神さまは愛です」と言ったので、びっくりするやら嬉しいやら。静かな仕方で学んでいるのですね。愛の神がこの幼子の生涯を導き祝してくださいますように。

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