6月22日のみことば

わたしの魂に近づき、贖い/敵から解放してください。(詩編69:19)

詩人は「敵から解放」と言います。彼の時代には実際に命が危ぶまれる危険があったのでしょう。現代の私たちにとっては日々直面する様々な重い課題と考えてもいいかもしれません。そんな私たちに神は近づき、救い出し、解放の喜びを与えてくださるというのです。今日は主の日、神があなたを祝福するために近づいてくださる日です。私たちは喜びをもって御前に集いましょう。「今日は聖なる安息の日よ、疲れた心、新たにされる」(讃美歌21-205)

6月21日のみことば

神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福してくださいますように。(詩編67:7)

詩人は「神、わたしたちの神」と言います。天地の創造者である神が、実はわたしたちと深い関係を持ってくださる方なのです。主イエスは「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方」(ヨハネ20:17)と言われました。この神は私たちを祝福しようと日夜働いてくださる方なのです。このような神を知り、その交わりに生きることを許されているとはなんと幸いなことでしょうか。

6月20日のみことば

嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません。(詩編69:21)

人の嘲りの言葉はしばしば私たちの心を打ち砕きます。それは言葉の暴力です。心が打ち砕かれた時、あなたは誰に同情や慰めを求めるでしょうか。愛と忍耐をもってあなたに耳を傾けてくれる友人がいるなら幸いですね。しかし正直それにも限界があるのでは?究極においてあなたの言葉に耳を傾け、慰めと励ましの言葉を下さるのは神では?礼拝堂に身を置き、心を神に集中して祈るなら、あなたの心は不思議に癒され、新しい力で充満するに違いありません。

6月19日のみことば

あなたの僕に御顔を隠すことなく/苦しむわたしに急いで答えてください。(詩編69:18)

大分前のことですが、従兄弟が急病のため救急車で病院に運ばれたことがありました。救急隊員は私に「救急車は赤信号でも進むので後をついてこないでください」と言われましたが、私は用心しながらついて行きました。でも遅いと感じました。むしろ自分の方が早く病院に着けるのではと思いました。しかし結果的には救急車の方が先に着きました。それは赤信号でも走行したからです。神の助けはいつも遅いと感じます。だから「急いで答えてください」「速やかにわたしを救い出してください」(70:2)「遅れないでください」(70:6)と言います。しかし実際には神はもっとも良い速さで私たちに答えてくださるのです。決して手遅れになることはないのです。

6月19日のみことば

あなたの僕に御顔を隠すことなく/苦しむわたしに急いで答えてください。(詩編69:18)

大分前のことですが、従兄弟が急病のため救急車で病院に運ばれたことがありました。救急隊員は私に「救急車は赤信号でも進むので後をついてこないでください」と言われましたが、私は用心しながらついて行きました。でも遅いと感じました。むしろ自分の方が早く病院に着けるのではと思いました。しかし結果的には救急車の方が先に着きました。それは赤信号でも走行したからです。神の助けはいつも遅いと感じます。だから「急いで答えてください」「速やかにわたしを救い出してください」(70:2)「遅れないでください」(70:6)と言います。しかし実際には神はもっとも良い速さで私たちに答えてくださるのです。決して手遅れになることはないのです。

6月20日のみことば

嘲りに心を打ち砕かれ/わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず/慰めてくれる人も見いだせません。(詩編69:21)

人の嘲りの言葉はしばしば私たちの心を打ち砕きます。それは言葉の暴力です。心が打ち砕かれた時、あなたは誰に同情や慰めを求めるでしょうか。愛と忍耐をもってあなたに耳を傾けてくれる友人がいるなら幸いですね。しかし正直それにも限界があるのでは?究極においてあなたの言葉に耳を傾け、慰めと励ましの言葉を下さるのは神では?礼拝堂に身を置き、心を神に集中して祈るなら、あなたの心は不思議に癒され、新しい力で充満するに違いありません。

6月18日のみことば

神の御名を賛美してわたしは歌い/御名を告白して、神をあがめます。…神を求める人々には/健やかな命が与えられますように。(詩編69:31~33)

神は何を喜ばれるでしょうか?信仰の讃美と告白です。あなたが心を込めて讃美するなら、神は喜ばれます。あなたが真心から神に信頼していることを告げるなら、神は喜ばれます。「神を求める人々には、健やかな命が与えられる」と詩人は言います。私たちにも今日、健やかな命が与えられますように。

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