6月24日のみことば
神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。(詩編68:4)
岩波訳では「義人たちは喜び欽ぶ。・・・喜びを喜ぶ」となっています。つまり似た言葉の連結であり、そうすることによってその喜びの大きさ、確かさを表現しているのです。神に従う私たちが経験する喜びはそのようなものです。今日もその経験をさせて頂きましょう。
6月25日のみことば
神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。(詩編68:6~7)
神はいつも弱い人々の味方です。強い人々、今恵まれた立場にある人はそのことを忘れてはなりません。自分の強さの故に弱い人々を軽んじ苦しめるなら、実は神を敵に回すことになるのです。神が味方される者に私たちも味方したいと思います。
6月23日のみことば
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。(詩編67:2~3)
聖書が語る神とはどのような方でしょうか? 愛の御顔を私たちに向け、憐れみ、祝福してくださる方です。私たちは神の恵み深さをまだ本当には知らないのです。神は私たちの想像を越えて恵み豊かな方です。神がどのような方法で私たちをお救いになるかも知りません。「天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。」(イザヤ55:9)。神の恵み深さを信じ、神の救いを静かに待ちましょう。「何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」(赤毛のアン)
6月24日のみことば
神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。(詩編68:4)
岩波訳では「義人たちは喜び欽ぶ。・・・喜びを喜ぶ」となっています。つまり似た言葉の連結であり、そうすることによってその喜びの大きさ、確かさを表現しているのです。神に従う私たちが経験する喜びはそのようなものです。今日もその経験をさせて頂きましょう。
6月22日のみことば
わたしの魂に近づき、贖い/敵から解放してください。(詩編69:19)
詩人は「敵から解放」と言います。彼の時代には実際に命が危ぶまれる危険があったのでしょう。現代の私たちにとっては日々直面する様々な重い課題と考えてもいいかもしれません。そんな私たちに神は近づき、救い出し、解放の喜びを与えてくださるというのです。今日は主の日、神があなたを祝福するために近づいてくださる日です。私たちは喜びをもって御前に集いましょう。「今日は聖なる安息の日よ、疲れた心、新たにされる」(讃美歌21-205)
6月23日のみことば
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。(詩編67:2~3)
聖書が語る神とはどのような方でしょうか? 愛の御顔を私たちに向け、憐れみ、祝福してくださる方です。私たちは神の恵み深さをまだ本当には知らないのです。神は私たちの想像を越えて恵み豊かな方です。神がどのような方法で私たちをお救いになるかも知りません。「天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。」(イザヤ55:9)。神の恵み深さを信じ、神の救いを静かに待ちましょう。「何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」(赤毛のアン)
6月21日のみことば
神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福してくださいますように。(詩編67:7)
詩人は「神、わたしたちの神」と言います。天地の創造者である神が、実はわたしたちと深い関係を持ってくださる方なのです。主イエスは「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方」(ヨハネ20:17)と言われました。この神は私たちを祝福しようと日夜働いてくださる方なのです。このような神を知り、その交わりに生きることを許されているとはなんと幸いなことでしょうか。