1月31日のみことば
朝にはどうか、聞かせてください、あなたの慈しみについて。(詩編148:3)
悲しいニュース、暗いニュース、辛いニュースで満ちています。それに耳を塞ぎ、目をふさぐわけにはいきません。しかし、新しい一日を迎えた時、まず私たちの心に満ち溢れてくるものは、神の慈しみでありたいと思います。私たちの心が神の慈しみ、神の愛に満たされる時、私たちは自分自身の課題、仕事の課題、社会の課題に取り組む勇気を得るのでないでしょうか。
1月31日のみことば
朝にはどうか、聞かせてください、あなたの慈しみについて。(詩編148:3)
悲しいニュース、暗いニュース、辛いニュースで満ちています。それに耳を塞ぎ、目をふさぐわけにはいきません。しかし、新しい一日を迎えた時、まず私たちの心に満ち溢れてくるものは、神の慈しみでありたいと思います。私たちの心が神の慈しみ、神の愛に満たされる時、私たちは自分自身の課題、仕事の課題、社会の課題に取り組む勇気を得るのでないでしょうか。
2月1日のみことば
わたしの祈りを御前に立ち昇る香とし、高く上げた手を夕べの供え物としてお受けください。(詩編141:2)
私たちの祈りは神の御前に立ち昇る「香」だと言う。それこそ神の最も喜ばれるものである。また、私たちは祈りの時、両手を合わせたり組んだりする。現在では祝祷の時に手を上げるだけだが、聖書の民は手を上げて祈ることもあったのだ。祈りの手を神は夕べの供え物として受け入れてくださるというのだ。祈りの手こそ神が喜びたもう供え物だと言う。私たちは人から贈り物を頂いた時、感謝の言葉を述べたり手紙を出したりする。一日の働きを終えた時、神から頂いたその日の恵みに感謝して祈りを捧げよう。自分ひとりの時も、また兄弟姉妹たちとともにいる時も。