信仰生活ABC

問2:どこから始めましょうか。・・・どこからでもよいのですね。 キリスト教は個々の教えの寄せ集めではなく、一つの生き物のように、その心臓部から、どの部分にも同じ血がかよって生きているのですから。

答:そうです。キリスト教の全体をぼんやりととらえるよりも一部分でも生きたいのちにふれる方が、はるかに大切であると思います。

松木治三郎先生の著書『人間』の中に「聖書一句の人」という説教があります。アウグスティヌスにとってはローマの信徒への手紙13章13節以下、ルターにとってはローマの信徒への手紙1章17節、そしてトルストイにとってはマタイによる福音書5章21節以下の「山上の説教」・・・。その聖書一句を手がかりに聖書の豊かな真理を読み解いていったのです。まさに人体で言えば、「どの部分にも同じ血がかよって生きている」のです。講義の中でもしばしば「広く浅く」ではなく「聖書一句を深く」とおっしゃっていました。

私の聖書一句はマタイによる福音書4章4節「イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」でした。主イエスが引用なさったのは旧約聖書申命記8章3節です。「パン」、つまり物質的な豊かさだけで生きることができると思っている人が多いのです。私も経済学部に学んでいる頃、心のどこかでそう思っていました。心の平安、救いといっても物がなければ人間は決して幸せになれない・・・。しかし私が乗っていた列車が幼い子どものいのちを奪った時、「人は物だけでは生きないのだ、反対に物が人の命を奪うこともあるのだ」と思わされました。ドロテー・ゼレという神学者は「人はパンだけで生きることによって死ぬ」と言っています。

聖書を開き、その一句に心を向け、そこに示されている神の愛に気づきたいと思います。そのためにこのコーナーが少しでも役立ちますように。

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