答:旧約は、読む者の心におおいがかかっています。それは、ただイエス・キリストに出会う時だけ、取り除かれます(第2コリント3:14)。旧約は新しい契約を預言し、新しい契約はイエス・キリストによって成就しているからです。しかし間違ってはいけません。新約もイエス・キリストそのものではなく、その弟子たちの想起による証しであります。旧約も新約もいずれも、イエス・キリストにおける一度限りの、神と私たちの交わり・和解・救いの出来事、インマヌエル(神私たちと共に)の真理と恵みを証ししているのです。
旧約は裁きの神を語り、新約は赦しの神を語っていると言う人がいますが、間違いです。言葉の表面だけをみれば、旧約は裁きと思えるのでしょうが、深く読むとそこにも神の愛が満ちていることが分かります。旧約も新約も神の愛と赦しを語っています。そしてそれは神の独り子イエス・キリストにおいて実現するとキリスト教徒は信じているのです。
今私は水曜日の朝の集会で兄弟姉妹方とローマの信徒への手紙を少しずつ学んでいます。先日10章1~4節を学びました。「パウロ先生、よくぞこの素晴らしい書簡を書いてくださいました!初代教会の兄弟姉妹方、よくぞこの素晴らしい文書を保管してくださいました!」と心底そう思いました。パウロ先生はどれほど深い感動をもってこの書簡の一字一字を書き記していったことでしょうか。初代教会の兄弟姉妹は福音の真理を伝えているこの書簡をきっと命がけで守り伝えたことでしょう。
それに比べると、私たちの証の言葉はどうだろうかと反省させられます。神の大きな愛を証ししているこの聖書を感謝して読みたい、熱心に学びたい、そして溢れる喜びをもって伝えたいと願っています。