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2022年12月4日説教全文「100周年、希望を紡ぐ平和の福音」牧師:西脇慎一

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〇聖書個所 コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章16~18節

だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

〇説教「100周年、希望を紡ぐ平和の福音」

みなさんおはようございます。オンラインで礼拝を守っておられる方々もおはようございます。今日は西南学院バプテスト教会にとって創立100周年を記念する大切な礼拝です。午後には創立100周年記念式典が執り行われます。教会員のみならず、これまでこの教会と出会いが与えられた多くの方々と共に、これまでの100年の歩みを振り返り、またそのひと時ひと時を共にいて守り導いてくださった神さまへの感謝を献げ、そしてこれから始まる新しい100年への歩みに主の導きを祈り求める時としたいと思います。式典にはオンラインで参加してくださる方々もおられます。一つの場所に共に集うことは出来なくても、思いは繋がっていることを改めて主に感謝したいと思います。どうぞ共にお祝いして参りましょう。

今日の朝の礼拝では、記念式典に先駆けて「100周年、希望を紡ぐ平和の福音」と題してⅡコリント4:16-18から、この聖句はくしくも10月末に行われた100周年記念事業「見えないものはいつまでも続く~祈りで紡ぐ音楽・朗読・彫刻の夕べ」のテーマとなった個所でもありますが、私がこの個所から今考えていることをお話しさせていただきたいと思います。
皆さんは恐らく西南学院教会の創立の時のエピソードはこれまで何回となく聞いてこられたことと思います。1918年に西南学院が当時あった大名から西新町に移転するに伴い、「近くに教会を」という声の高まりを受け、1922年、12月2日に正式に設立するに至った経緯です。私はその出来事については教会創立80周年記念史などで知っていますが、詳しくは午後に踊先生がお話ししてくださるのではないかと思います。
私が今日皆さんと共に確認したいのは、それ以前の出来事です。今日は世界祈祷週間の最後の礼拝でもありますが、私たちの教会を含む日本バプテスト連盟の諸教会はアメリカ南部バプテスト連盟の派遣宣教師と諸教会の祈りと献げ物によって成り立ってきました。彼らがどのような思いで日本にやってきたのかと言うことをまず考えてみたいと思うのです。

実は今でいう「世界宣教」とはキリスト教会の歴史の中では決して当たり前のことではありませんでした。こういうと不思議と思われるかもしれません。キリスト教会っていつも伝道に熱心だったと思われるからです。その根拠の一つにここに掲げられている「大宣教命令」があります。
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:19-20)。
他にもパウロは伝道旅行もしたし、使徒たちも福音宣教に仕えていったというのは確かなことです。初期キリスト教会にとってはまさにその通りだったと言えるでしょう。しかし、キリスト教がローマ帝国に国教化されてしまうと、ほぼすべての人が幼児洗礼によってクリスチャンになりましたので、伝道はある意味必要ないものになってしまったのです。その後、神学者カルヴァンは「予定説」を唱え、神が救われる者と救われない者を定めていると言いました。誤解のないように言いますが、これは元々救いは人間的な努力や善行によるものではなく、神の恵みの出来事なのだということを教えるためのものでした。しかしそれが後々拡大解釈され、私たちは神に選ばれ救われたクリスチャンだが、他の人たちは神に選ばれていないのだから福音を伝える必要はないという誤った理解をうむようになっていったのです。いわゆるハイパーカルヴァン主義と呼ばれるものです。

しかし、果たして神の御心はそうなのだろうか。それでは何故聖書は語り伝えよと言っているのか。当時の教会の常識、あるいは硬直化した伝統というものを崩すのはやはり聖書の言葉でした。聖書の言葉に問われ、立ち返り、自らの歩みを悔い改め、神の御心を求め、福音を伝えていこう。まだ福音を聞いたことがない方々へ、イエス・キリストの愛を全ての人に届けるために、或いはイエス・キリストの愛を自らが行っていくために、隣人となっていくために、自分たちの安住の地を離れ、命を懸けて出かけて行ったのが宣教師たちであったのです。
バプテストの世界宣教が始まったのは1792年、今よりおよそ230年前、割と最近のことです。近代宣教の父と呼ばれるウィリアム・ケアリは、バプテスト宣教会を立ち上げインドに出かけました。異教徒たちへの福音宣教の思いを持って意気揚々と出掛けたのもつかの間、そこには慣習や言語の壁、また貧困・飢餓・病気・敵意などの困難が待ち受けていました。インドに来て2年目に5歳の息子をマラリアで亡くしたことで、妻が精神的に病み家族はぼろぼろになってしまいます。神の働きのために行ったのに、正直神の守りも導きも感じられないような有様です。しかしそのような犠牲を払ってまでして彼が成し遂げたことは、インドの因習となっていた宗教上の幼児殺害や「サティ」と呼ばれる寡婦の火あぶりを廃止すること。或いはベンガル語などの聖書翻訳の事業、あるいは地域の方々のための教育機関を設立すること、つまりその地に住む人々のいのちの守りに資することでした。福音宣教とは一言に言っても人々をクリスチャンにするためではなく、むしろその地に住む人々の命を愛している神の愛をまさに命を賭して行うことを通して神さまの愛を伝えることであったのです。

日本への伝道も同様です。最初に日本に派遣された宣教師は、1860年に南部バプテスト連盟から派遣されたローラー宣教師夫妻です。彼らは太平洋上で消息不明となったのです。その後アメリカでは南北戦争が起こり宣教師派遣ができない時期がありました。戦争は北軍が勝利したため、日本への宣教も北部バプテストが主導権を握ることになりました。1872年のことです。南部バプテストが日本に宣教師を送るようになったのは、1889年、北部から遅れて17年後のことでした。最初の宣教師マッコーラムとブランソンは当初横浜に向かい、その場で南部と北部のバプテストの宣教地の取り決めが行われ、彼らは神戸以西を担当することになりました。実は彼らが暮らすことになったのは神戸の山本通(私がいたところ)で、日本語を学びつつ、大阪に最初の教会を建てたのです。
ところがその後、神戸以西という表現は実は本州の最西端までが範囲であったことが分かり、南部バプテストの宣教師たちは九州にやって来ることになりました。この時新しく派遣されたアーネスト・ウワーン宣教師が1894年に南部バプテスト連盟に書いた手紙の中に、福岡での神学教育の必要性の言葉があり、そのときには経済的な問題を含めて色々な事情があり始められなかったのですが、彼らが自分たちの宣教師館を売って資金を作り、かつ宣教団からの支援によって、神学校の建物が立てられたのです。これが福岡バプテスト夜学校であり、西南学院の前身でありました。

私は元々歴史は好きなのですが、バプテストの歴史、或いは宣教の歴史というものが大好きです。なぜならば働き人たちは一人一人それぞれ例外なく困難に直面するのですが、しかしそれに挫けることなく、信仰と周りの人々に支えられていく信仰者の姿勢に非常に心を打たれ心が熱くされるからです。
彼らが成し遂げたことが自分たちの利益になるものであったかと問われるならば、決してそうではなかったでしょう。むしろ子どもが亡くなったたり、病気にかかったり、生活上のあらゆる困窮に出会うことになりました。それは恐らく本国に留まっていたら降りかかってくることはなかった困難であったことでしょう。本当に大変だったと思います。彼らは本当にそれで幸せだったのかとわたしは思うこともあります。しかし、彼らがその苦労を耐え忍びやってくることができたのは、むしろイエス・キリストが自分自身のためにそのいのちを献げて下さったという恵みへの圧倒的な感謝があったからではないかと思うのです。捧げられたからこそ捧げるようになる。支援してきた方がも同様だと思います。しかし彼らがそのような困難をも乗り越えてイエス・キリストの福音宣教のために献げ、働いてきたことで結んだ実というものが、今私たちが普通のこととして受け取っている恵みなのです。西南学院も西南学院バプテスト教会もそのような多くの人々の苦労の中で、結ばれた信仰の結実であるのです。

私は今日、西南学院教会創立100周年の日を迎えるまでに色々と考えたことがあります。それは、宣教師たちをはじめ100年前の信仰者たちは、この教会の将来をどのように想像していたのかということです。もちろん100年後を見通すことができる人なんていません。しかし恐らく先達たちは、確信していたのだと思うのです。イエス・キリストが私たちを捕え、恵みを与え、守り導いてきてくださったように、この教会の将来も常にイエス・キリストが共におられ、すべての困難の中にも共にいて、その教会に結ばれている一人一人を守り導き、また教会員の交わりの中で共に慰め共に励まし合う歩みを進めてくださることを、です。まさにこの100年、歩みは常に順調だったわけではないと思います。むしろ人生の四季と同じように教会にも喜びの時と共に悲しみ、苦しみの時もあったと思います。しかし、その間も先達たちの信仰を支えてきたのは、その目には絶望的な事柄が移ろうとも、その背後には片時も変わることのないイエス・キリストの福音の言葉があったのだと思います。ですから、宣教者パウロはこう言うのです。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新たにされていきます。私たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。私はこの「内なる人」というのは、個人の内面のことではなく、信仰を受け継いでいく教会のことだと考えています。
私は今年の9月にこの教会の牧師に就任して最初の礼拝で、ヨシュア記からお話ししました。出エジプトのモーセの後継者にヨシュアが選ばれたとき、彼の心にはとても大きな不安がありました。しかし彼を励ましたのは、神やモーセや民の言葉でした。申命記31:6-8にはこのように書かれています。「「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない」。

これからを歩む人々にはとても大切な言葉であると思う一方で、私はこの言葉をモーセはどのような思いで語ったのかを考えてみました。モーセは出エジプト荒野での40年間を終えるに当たり、神から「あなたは約束の地に入ることができない」。と言われました。モーセにとってこの言葉は少なからず失望を与える言葉であったと思います。神さまが自分をリーダーに選んでくださったのなら、ゴールまで行かせてほしいと言うのが彼の願いであったと思います。しかし、神はそれをお赦しにならなかったのです。あまりにも残酷に見えます。しかしそんな神はモーセをネボ山に上らせ、彼らが目指していた約束の地、乳と蜜の流れる地をその目で見るようにされました。モーセはその土地に入ることはできません。しかしながら恐らく神がそのようにさせたのは、「信仰や教会というものは受け継いでいくべきものであるのだ、あなたがすべてを最後まで面倒見る必要はないのだということなのだと思うのです。民、あるいは教会を導くのは人ではなくて神である。だから大丈夫だ。私が彼らとともにいるのだから安心して委ねなさい」。モーセに対する神のメッセージはそのように聞こえるのです。そしてモーセは、後継者ヨシュアを始めとする出エジプトの民がその土地に入っていき、その土地で平和と安息を得て生きて行く来たるべき姿を幻の内に目の当たりにしたのではないかと思います。私はここに神の希望と平和と慰めを感じるのです。

私たちは限りある人生の期間しか生きることができない人間です。神のなさることを全て経験することはできません。伝道の書3:11にもこのようにあります。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」。
人の一生は神の時の一部分であり、そのすべてを見通すことはできません。しかしそれが人の歩みなのだと思います。人はその人に与えられた思いを引き継ぎ、受け取っていくことを通して、その歩みを進めていくことができるからです。一人だけで完結はしない。でも多くの人と共に生きるからこそ、その喜びは大きく深くなっていくのです。教会はだからこそ信徒の交わりであり、神の家族なのです。私はこの教会の先達たちも、また初期の宣教師たちも、そのような幻の実現を夢に見ながら、希望を持って自分たちの命をそれぞれの時に燃やして教会を支え、福音宣教をしてきたのではないかと思うのです。

西南学院教会は、これまで歴代主任牧師10名、数多くの協力牧師・副牧師・主事・宣教師たち、名だたる執事たちに導かれました。教会員は原簿によると延べ2,235名が結ばれた教会です。時代時代に色々な出来事がありましたし、これから先も私たちの歩みはどうなっていくかはわかりません。しかし私たちは改めて神の伴いと導きに心を留めて、歩みを進めていきたいのです。
そのために、そのような先達たちの信仰を改めて受け取り、かつその方々の信仰の土台となられた、イエス・キリストに私たちも出会っていきたいのです。なぜならば、時代を開いてきた先達たちは、同じように神の伴いと導きの内にその歩みを切り開いてきたからです。私たちが歩みだしていく道もまた同じです。問われ変えられることを喜んでいく。しかしそのようななかに神が共におられるということに私たちの土台があるのです。

「見えないものに目を留める」。昔も今も後も全てを整えられる主は私たちと共におられます。その主に私たちの思いを委ねていくこと。出来ることを捧げてくこと。これが私たち人のすべきことの最善であるのだと思うのです。そのようにしてこれからの時も、皆さまと共に変わらぬイエス・キリストの伴いと導きによって進められていくことを祈り求めて参りましょう。

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