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2024年2月4日説教全文「 逆風と凪 ~イエスの伴い 」牧師:西脇慎一

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〇マルコによる福音書 6章45~52節

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

〇説教「 逆風と凪 ~イエスの伴い 」

みなさん、おはようございます。オンラインで礼拝されている方もおはようございます。皆さんの心と体のご健康が守られ、今週の新たな歩みの上に豊かな祝福と守りをお祈りしたいと思います。

本日は「バプテスト・デー」として主日礼拝を守ります。バプテスト・デーは日本におけるバプテストの宣教開始を記念しています。しかしそれは、私たち西南学院バプテスト教会を設立する母体となったアメリカ南部バプテスト連盟の宣教師派遣記念日ではありません。アメリカ南部バプテスト連盟の日本への宣教師派遣は1889年11月15日、ジョン・マッコーラムとジョン・ブランソンによって始まりますが、それに先立つこと16年前の1873年2月7日、アメリカ北部バプテスト連盟(アメリカン・バプテスト・ミッショナリー・ユニオン)のネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両宣教師夫妻が来日した日がバプテストの記念日されています。バプテストは自覚的信仰を大切にしますので、教育、特に考えることを大切にする教派です。そのため南部バプテストは西南学院を創設しましたが、北部バプテストは関東学院を創設しています。私たちはそんなバプテストの思想を改めて思い起こすために、聖書から御言葉を受け取っていきたいと思います。

今日の聖書箇所は、ごく簡単に言えばイエス・キリストが嵐の中で困り果てている弟子たちを助けるために、湖の上を歩いていくという物語です。私たちはこういう奇跡物語を読むと、イエス・キリストはいったいどうやって水の上を歩いたのか、物理的に可能なのかということが気になり、想像は膨らみます。しかし聖書は「どうやって」という方法ではなく、その「出来事の意味」を伝えるものであります。ですから私たちは今日、この物語を少し丁寧に見ていき、この出来事に込められたイエス・キリストの福音を考えたいと思います。

まず文脈は、先週お話しした「5000人の給食」の物語の後です。弟子たちは福音宣教の働きから帰って来て労いを受けるタイミングで大勢の群衆に取り囲まれました。そこで、男性だけで5000人、それ以上多くの群衆と共にパンと魚を分かち合われたわけですが、その後、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、ベトサイダという町へ向かわせました。文脈で考えれば、彼らを休息させるためであったと言えるでしょう。そしてご自身は群衆を解散させた後、祈るために山に向かわれました。
イエスは時折一人で祈る時を過ごされました。その祈りの時は重要で、弟子たちにさえ妨げることをお許しにならなかったと言われています。しかし実はマルコによる福音書では一人で祈る場面は三回しか登場しません。最初はマルコ1章ガリラヤでの福音宣教を初める前に、人里離れたところで祈りの時を持っています。二回目は今日の箇所です。ヘロデの宴会で殺されたバプテスマのヨハネの出来事に続く神の国の食卓を表すパンと魚の奇跡の出来事。それに続く祈りの時。これはイエス・キリストの歩みが大きく変わる祈りの時であったのではないかと思います。そして三回目はゲッセマネの祈り、十字架を前にして自分の思いを神に委ねた時です。つまりイエスさまの神との個人的な祈りの時間というものは、イエスさまの歩みをもう一歩前に進める時に行われる象徴的な出来事だったのではないかと受け取ることができます。

イエス・キリストは「祈る時は、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」。(マタイ6:6)と教えているように、イエスさまは一人山に引きこもり祈ります。キリスト教ではよく「リトリート」という言葉が使われます。これは「退修会、修養会」とも言われますが、元々は「避難所」という意味のある言葉です。今いる場所から退いて自分の心と体を休息させ、神のトリートメント、神の取り扱いを受けて手当、癒しを受けて、新しい働きのために備えるということです。私たちにとってもそのような祈りの時というものが必要になるときがあります。私たちの教会では今年そのような時を共に持ちたいと思っております。共に祈る時は、まさに神との対話となりますし、神からの新たな力を頂く場ともなり、私たちにとって一つの転換点になるまさにリトリートの出来事です。

聖書個所に戻ります。イエスさまが山を下り弟子たちのところに行かれた時は、夜が明ける頃であったと記されています。つまり、イエスさまは一晩祈りの時を持っていたのです。弟子たちはどうしていたかと言うと、ベトサイダに向かっていましたが、その船の旅の途中で逆風のために漕ぎ悩み、にっちもさっちも行かない状況になっていました。弟子たちの数人はガリラヤ湖の漁師でしたから船の操縦のプロでありました。恐らくは、イエスさまの言葉通りに、なんとか向こう岸に渡ろうと努力していたのだと思います。この逆風とは、単純な逆風、向かい風ではなく、元々の単語では、彼らに敵対する風でしたので、彼らは目的地に行くどころか、進むことも引くこともできず、どうしようもない状態になっていたのです。この時弟子たちは祈っていたのでしょうか。自分の力任せだったかもしれません。漕ぎ悩み、どうしようもなかった時、そんな彼らのところにイエスさまが来られたのです。

彼らがびっくりしないわけはありません。みなさん、情景を想像してみてください。明け方早くの水面です。辺りはまだ一面薄暗く、モヤもかかっていたかもしれません。しかも逆風で波は立っていて風音は激しい。そんな水面の上に、人影がある。怖がらないわけがありません。彼らはイエスさまを見て「幽霊だ」と言っています。この幽霊と言う言葉はギリシャ語ではファンタスマと言い、ファンタジー(幻想)やファントム(おばけ)の語源になった言葉です。つまり、現実のものとは思えない恐怖に駆られたということでしょう。無理もないと思います。湖や海とは、今では「いのちの宝庫」であると言われますが、その当時は「死の象徴」でした。深い水は人の力の及ばないところ、何が出てくるかわからないところであったからです。そんな湖の波に揺られる船の上の弟子たちは、まさに生きた心地なんてしなかったでしょう。しかし、イエスさまはそんな状況にいる弟子たちをその恐怖から救うために、湖の上を歩いて弟子たちの元に向かわれたのです。

「湖の上を歩くイエスさま」というと、何か物理科学を超えた奇跡的な現象、まさにファンタスマの世界ように受け取ってしまうわけですが、実はここでイエスさまが水の上に立っていたということは、湖の上で暴風と荒波にも負けずに立っていたということです。つまり死の恐怖に揺らぐことなく、自分に敵対する風に流されずしっかりとした土台の上に立っていたという意味があるのです。イエスさまがそのような土台に立ることができたのはどうしてでしょうか。私はそれが、イエスさまが1人で山で祈られたこと。象徴的にその自分のよって立つ土台を確認することであったのではないかと思います。

さらにいえば、イエスさまが湖の上を歩いたのは、その奇跡自体が大切なのではありません。イエスさまが湖の上を歩いたのは、恐怖の中にいる弟子たちに伴うためであったということが、より大切です。つまり、イエスさまは私たちがそんな死の一歩手前、恐怖におののき、立っている土台があまりにも脆い、今にも崩れてしまいそうな中にいる私たちに伴うために、その恐れを向こうから乗り越えてきてくださるのです。だからこそ「安心しなさい。私だ。恐れることはない」。この声に慰めと平安を感じるのです。
イエスさまが舟に乗り込んだとき、風は静まりました。「凪」という言葉には、すべての風が止まるという意味がありますが、そういう現象が起こったのでしょうか。確かにイエスさまは波風さえ止めることができる方であると聖書には書かれています。ですが、もしかしてここではその波風は彼らにとって静かになったということなのかもしれません。つまり、波風はまだまだあったとしてもイエスさまが私たちと共におられるときに、私たちにとってその波風は静かのようになるのです。そしてそれがシャロームという神の平和なのです。
私たちには生きていく中で様々な困難や恐怖があります。それは私たちが今を生きる者として負う様々な困難もあると思います。しかしその中には私たちがそれぞれ個人的に抱えている様々な問題もあるでしょう。もう立ちえないと思うような苦しい状況もあるかもしれません。そしてその思いを誰もわかってくれないという孤独な時もあるでしょう。それはまさに嵐に翻弄される湖の舟です。しかし、イエス・キリストはそんな状況の中にいる私たちに対して向かってきて下さり、私たちに伴われるのです。そして、嵐の中、波風の立つ水の上に立ち「わたしの元に来なさい」と招いてくださいます。そしてその方は失敗しても大丈夫だと招いてくださいます。私たちはこの方がおられるからこそ、その歩みを最後まで歩んでいくことができるのです。 
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。(Ⅰコリント10:13)これは、困難を回避して生きるのではなく、困難の中を最後まで歩み通せるように、その歩みを支えてくれるのがイエス・キリストであると言っているのです。
実は私たちのバプテストが歩んできた道というものも、そのような暴風吹き荒れる湖の中であったと言えます。バプテスト教会は「個人の信教の自由」と「政教分離」を主張する「自覚的な信仰告白」を特徴とする教会です。それは何かというと、他者の信仰の自由、他宗教を認めること。しかしながら私たちはイエス・キリストのみを主と告白すること、イエス・キリスト以外に権威を認めないことです。このようなバプテスト教会は、17世紀当時の教会、あるいは国家からすると、危険極まりない存在でした。何故ならば、国民が皆生まれた時に洗礼を受け、国が定める教会のメンバーであるのが当たり前であった時代に、国や国の教える教会が勝手に信仰の在り方を強要するのはおかしいと言ったわけです。これは当時の教会からも国からも到底許容されることではなく、迫害の対象となることでした。しかしバプテストの先達はその迫害にブレることなく、自分の信仰に立ったのです。

17世紀初頭、イングランドから新大陸への入植がはじまった時、多くの人は新大陸に自分たちの理想的なキリスト教市民共同体を夢見ました。マサチューセッツの植民地を切り開いた初代総督は新大陸上陸を目前とした船の中で「キリスト教との慈愛の雛型」という説教を行い、自分たちはそのキリスト教の理想社会を作る使命が与えられていると話し、人々はその下船する時に、そのことに署名させました。つまり、理想的なキリスト教共同体とは、市民生活と信仰生活が一緒になるということです。ですから、当然他の宗教は認められませんでした。さらに教会は行政によって税金で建てられ、牧師給与もそこから支出されました。新しく生まれた子どもたちも新生児洗礼が行われ、住民登録と共に教会員登録もされました。行政当局が認可した牧師以外による説教を聞くことが禁止され、それ以外の教会も認められず、違反した場合は処罰の対象になりました。実はこれはバプテストが求めていた信教の自由とは全く対照的でした。これが果たして本当に理想的な神の国なのでしょうか。
当時のバプテストの代表的な人物は、ロジャー・ウィリアムズです。彼は、信教の自由を核とする基本的人権をアメリカ先住民にも認めます。そのため、彼はマサチューセッツを追われることになります。その後ロードアイランドに渡った彼は、先住民と正式な手続きを踏み土地を買い、植民地を開きました。プロヴィデンスと名付けられた町は、その名の通り「神の摂理」を表します。ウィリアムズはそこにアメリカで初のバプテスト教会となるプロヴィデンス第一バプテスト教会を建て、「良心の自由」を宣言しました。その地域は信仰信条のために迫害された人々にとって安全な場所となり、バプテストやクエーカー、ユダヤ教徒などその他の信仰を持つものがこの地に住まうことになりました。ロードアイランドは1652年、北アメリカで初めて奴隷制度を違法とする法律を可決したのです。
バプテストが求めた真理とは、聖書が教える正しい生き方です。しかしそれは聖書にこう書いてあることをそのまま行う律法主義ではありません。全ての人のいのち、尊厳の満たしであるイエス・キリストの福音そのもののことです。バプテストの理想とはただその一点です。イエス・キリストが私たちのために死んでくださった。それは罪びとに過ぎない私たちが神によって「義」とされるためであったのです。私たちはこのイエス・キリストにあって自由にされるのです。私たちの理想は、信教の自由と政教分離であり、各個人の自由を尊重し、自分の物差しを押し付けず、違うものを大切にする方々と共に生きることなのです。そのために、私たちはイエス・キリストの福音に目を留め、また御言葉を学び、日々新たにされていくことが大切です。イエス・キリストにのみ目を留めて、またイエス・キリストが私たちの歩みに伴ってくださることを信じ、歩んでまいりましょう。

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