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問2:どこから始めましょうか。・・・どこからでもよいのですね。 キリスト教は個々の教えの寄せ集めではなく、一つの生き物のように、その心臓部から、どの部分にも同じ血がかよって生きているのですから。

答:そうです。キリスト教の全体をぼんやりととらえるよりも一部分でも生きたいのちにふれる方が、はるかに大切であると思います。松木治三郎先生の著書『人間』の中に「聖書一句の人」という説教があります。アウグスティヌスにとってはローマの信徒への手紙13章13節以下、ルターにとってはローマの信徒への手

問1:キリスト教について、今日、改めて問い、新しく問答したいと思います。

答:私も切にそうしたいと思います。私がある大学の経済学部での学びを終えて関西学院大学の神学部に編入した理由の一つは、小学5年の時に頂いたキリスト教信仰を確認したかったからでした。イエス様が本当にキリストであること、私の救い主であることを神学的に確かめたかったのです。そしてそれができた時、私の心に

「主イエスと子どもと私たち」

詩編127編3節に「見よ、子らは主からいただく嗣業」とあります。旧約聖書学者浅野順一先生は『詩篇―古代へブル人の心』の中で次のように書いておられます。世俗に子は宝とよく言われるが、その宝を詩人は「嗣業」(ナハーラー)と呼  ぶ。嗣業とは神から人への賜物であり、それ故旧約の人々が生命的財産とするもの

「約束されたものを待ちなさい」

今日は約束の聖霊が弟子たちの群に与えられたことを記念する日です。主イエスは昇天される前にこう言われました。エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。(使徒言行録1:4)あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサ

「神、そして親と子と」

十戒は神が人間に与えた戒めであり、その第五番目に「あなたの父母を敬え」とあります。聖書は一貫して親と子は神の聖なる絆で結ばれていると教えています。神を抜きにしては子どもの本当の大切さは分からないし、親の本当の尊さも分からないでしょう。知的障害児施設ラルシュの指導者だったヘンリー・ナーウェンはこう

「来てみなさい。そうすれば分かる」

ある集まりで一人の人が「キリスト教の将来には希望が持てない、教会員は次第に減り、いくつかの教会は消滅するか合併するだろう」と言うのです。その方はそう思っているのですから、あえて反論するのはやめました。しかし私の心には別の言葉が響いていました。私が「主よ、今日あなたを求める人は少ないのでしょうか」と

「バッハの聖書」

詩編148編はすべての被造物に心からの讃美を呼びかけています。「ハレルヤ。天において主を賛美せよ。地において主を賛美せよ。」特に12~13節には次のようにあります。「若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。主の御名を賛美せよ。」1934四年、アメリカでJ・S・バッハ(1685~1750)の聖書が発見され

「聖書の言葉を耳にする」

ルカ福音書4:16以下には、主イエスがナザレの会堂で教えられたことが記されています。その時主イエスはイザヤ書61:1~2と58:6をお読みになりました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている

「聖書を通読しませんか」

18才の頃、私は聖書の与える慰めと励ましを体験し、以来四度通読しました。最初は口語訳、新改訳、文語訳、そして再び口語訳。残念ながら新共同訳はまだ通読に至っていません。今年12月に新しい翻訳「聖書 聖書協会共同訳」が出版の予定で、その前に新共同訳の通読を開始したいと思いました。実はもう一つの強い理由

「来てみなさい。そうすれば分かる」

ある集まりで一人の人が「キリスト教の将来には希望が持てない、教会員は次第に減り、いくつかの教会は消滅するか合併するだろう」と言うのです。その方はそう思っているのですから、あえて反論するのはやめました。しかし私の心には別の言葉が響いていました。私が「主よ、今日あなたを求める人は少ないのでしょうか」と

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