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巻頭言「デナリオン銀貨を見せなさい」

 「皇帝への税金」の話はマタイ、マルコ、ルカの三福音書に記されています。主イエスの言葉じりを捕えようとしたのは、ファリサイ派とヘロデ派の人々でした。両者の関係は決して良好ではありませんでしたが、主イエスを無き者にしたいという点では一致していました。「皇帝に税金を収めるのは、律法に適っているでしょうか

教会の約束

私たちの教会は月に一度、主の晩餐式の時、主イエス・キリストへの献身と会員相互の交わりが確かになることを願って次の「教会の約束」を唱和しています。巻頭言「教会の約束」 われら神の恵(めぐみ)により、イエス・キリストを主と仰ぎ、これに全くまかせ、また信仰をあらわす為に、バプテスマを受けて主の教会

今日この日から

紀元前10世紀から紀元1世紀の間にエルサレムには三つの神殿がありました。最初はソロモンの神殿(第一神殿)、第二はゼルバベルの神殿(第二神殿)、そしてヘロデが増築した神殿(第三神殿)です。紀元前538年、ペルシャ王キュロスはバビロン捕囚の民を解放し、祖国への帰還を許しました。帰還後に神が立てられた

巻頭言「神の箱とともに」

 私が小学生の頃、牧師の父が教会学校で話してくれる聖書物語に心がわくわくしたものです。例えば出エジプト記ではファラオとモーセの対決、葦の海の奇跡、ヨシュアたちによるエリコ陥落、そして少年ダビデと巨人ゴリアテの戦い…。それはゲームに興じる現代の多くの子どもたちの喜び以上だったかもしれません。 ヨシ

巻頭言「幾百万の祈りに支えられ」

神学者D・ボンヘッファーは、「教会」という言葉には埃が積もっている、それを払い落とすべきだと言います。その時、この言葉は筆舌に尽くしがたいほど偉大で栄光ある言葉となり、私たちの心に愛の感情を点火すると言うのです。教会は建物や組織ではなく、神の民の交わりであり共同体のことです。神はその交わりに私た

巻頭言「主(ヤハウェ)は救う」

 イザヤ書は「聖書の中で最も美しい詩と最も有名な希望の言葉が書かれた」文書です。イザヤ書1~39章は紀元前742~700年過ぎまでの北王国イスラエルと南王国ユダの歴史に関係しています。紀元前900年頃、アッシリア帝国は勢力拡大に向けて新たな行動を開始、約250年間にこれまでなかったほどの強大な帝国を

巻頭言「キリストの誕生物語」

 新約聖書にある四福音書で、主イエスの誕生物語を記しているのはマタイとルカだけです。マルコにはありません。主イエスの公生涯から書き始め、十字架と復活に集中しています。ヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった」と書き出し、主イエスの先在性を伝えようとしています。マタイとルカだけが、人としての誕生

巻頭言「この岩の上にわたしの教会を」

 ある時、主イエスは「人々は、自分のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。弟子たちは、「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」「預言者の一人」。さらに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」との問いにペトロは「あなたはキリスト、生ける神の子」と告白、主イエスは「わたしはこの

折が良くても悪くても

復活のキリストは迫害者であったパウロを選び、異邦人へ福音宣教者としてお立てになりました。ローマ1:5にこう記されています。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。パウロは主から頂いた使命のために誠実に働きました。2

信仰の言葉を学ぶ

 神学者W・H・ウィリモンの『異質な言葉の世界』という著書には洗礼を受けた者に広がる異質な喜びの世界についての説教が書かれています。 使徒パウロは「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1:18)と言いました。彼はアテネの哲学者た

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