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問26:しかし福音書は、イエスの生涯、その姿や出来事をいろいろと伝えているではありませんか。

答:はい、そのことはやはり、キリスト教のはじめからきわめて大切なことでありました。そしてその後も福音書から常にイエスを描いてきました。ところが近代になって、福音書からそのイエスを描くことに満足できず、私たちの歴史の現実に生きていたイエスを史的に再建しようと試みました。事実福音書の中にはいわゆる史的イ

問25:それでは、そのほかにイエスの史実については知る必要はないのですか。

答:はい、そうです。たとえばパウロなども、イエスについて、もっと知っていたかもしれませんが、イエスの誕生とその死のほかはあまり書いていません。また使徒信条でも、イエスの誕生からいきなりポンテオ・ピラトのもとにおける受難と十字架に写っています。ここで与えられている答えは、ちょっと意外かもしれません

問24:イエスの史実、その十字架の死はキリスト教にとって不可欠であり、それがないとキリスト教、新約聖書も二千年の教会の歴史もありませんね。

答:そうです。このことはどんなに強調しても、し過ぎるということはありません。イエスの十字架の死、それは初代のクリスチャンたちにとっては大きな躓きでした。ルカ福音書24章にはエルサレムからエマオというところに向かっている二人の弟子のことが記されていますが、そこには弟子たちの戸惑いがよく現れています

問23:それでは、はじめにイエスについて話し合いましょう。まずイエスの史実は、確かなのですね。

答:イエスの自筆は一句も残っていませんし、福音書は、イエスの死後、それも過去のイエスを事実としてではなく、今生きて語り働いているかたとして伝えているイエスのことばや物語など、さまざまな資料によって、書いたものです。そしてたとえばマルコは、イエスの伝記ではなく、「イエス・キリストの福音(1:1)を形成

問22:イエス・キリストという名は何を意味するでしょうか。

答:「イエス(ヨシュア・神は救い)」は、当時のユダヤではありふれた名前です。しかし、「キリスト(メシア、油そそがれた者」は、単なる名前ではなく特別な称号であります。だからイエスとキリストとはもとは別々のものです。しかも両者が結合して、イエス・キリストというひとりの方を指しています。そこにキリスト教の

問21:それ(聖書解釈の3つの拠り所)は何ですか。

答:第一に、聖書の中の聖書、その中心であるイエス・キリスト、父・子・聖霊の信仰告白、そこから発展して後の教会で作られた使徒信条。第二に、主の祈り。第三に、十戒とシェマ―。私たちがいかに存在し生きるべきか、すなわち私たちの神との関係・宗教と、私たちの人間との関係・倫理とを語っています。そしてこの三つの

問20:しかし教会も間違って解釈していませんか。

答:はい、しばしば教会も聖書を間違って解釈してきました。それは恐ろしいことですがまた避けられないことでもありました。しかし教会は、古くから聖書の中で、もっとも大切なものとして三つの箇所をとり出して、その解釈の拠り所としてきました。自分が絶対に正しいと思い込むことは危険です。どんな人でも間違うので

問19:しかしそれでは自分勝手に解釈するおそれがありませんか。

答:あります。ですから教会で聞く必要があるのです。新約聖書のペトロの手紙Ⅱ1章20節に「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです」と記されています。きっと当時もそういう人がいて、信仰の道を踏み外してしまったのでしょう。山に登るならガイドが必要で

問18:聖書は全部読んでよく分からなければなりませんか。

答:それは、とうといことですが、たいへんなことです。そして知的にいくらわかったつもりでも、「聖書も神の力も知らない」人々がいます。他方今日まで、聖書一句によって、新しく生まれ変わった人々もたくさんいます。18才の頃聖書の通読にチャレンジしました。通読がとても楽しくなって4回続けました。口語訳、文

問17:しかし旧約は、いや新約も、それぞれ遠い昔の人々のためではありませんか。

答:そうです。遠い昔の人々のためでした。しかしまた同時に、すべての時のすべての人のためでした。イエス・キリストは、今ここに在る私たちのうちに起こっている出来事なのです。これが一度限りという言葉の意味なのです。C.H.スポルジョンという19世紀の英国の名説教家は『主の約束は朝ごとに』の中でこう言っ

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