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「神学校週間に寄せて」

エフェソの信徒への手紙4:1~12の言葉です。「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの  体を造り上げてゆき…。」教会が歴史を生き抜くためには様々な働き人が必要でした。かつてガリラヤ

幼子には分かる

福音館の創業に参画した松井直氏の著書『松井直がすすめる50の絵本―大人のための絵本入門』、また高原典子氏の『絵本の泉―心を育む絵本の名作40』でも取り上げられている絵本があります。それは『おじさんのかさ』。一人の紳士がいます。一本の傘をとても大事にしており、決して使おうとしません。雨が降ると雨宿

「新しく見えてくるもの」

聖書を読む時に、その箇所だけでなく前後も合わせて読んでみると、今まで見えなかった大切な真理が見えてくる場合があります。例えばルカ8章22節以降。主イエスは弟子たちに「湖の向こう岸に渡ろう」と促されます。そこはゲラサ人の住む場所、その地で主は悪霊に憑かれた人を癒されます。しかし自分たちの財産である

「一同は聖霊に満たされ」

使徒言行録の著者ルカは聖霊降臨の出来事を次の言葉で記しました。五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来  るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌  が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たさ

臆病の霊ではなく

テモテへの手紙は使徒パウロが愛弟子テモテに宛てて書いたとされており、テモテに対する温かい励ましに満ちています。Ⅱテモテ1:7のことばです。神は、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。臆病とは軍勢のような大きな力の前で自由に伸びやかに動くことができなくなることです。

旧約聖書と新約聖書

ドイツの実践神学者クリスチャン・メラーは「魂への配慮としての説教」と題した本の中で「旧約聖書を軽視し、それどころか取り去ってしまう人は、イエス・キリストをも失い、彼を一つの観念に蒸発させてしまう。旧約聖書を失うことで、イエス・キリストは彼の民から切り離されるからである」と書いています。その通りだと実

奴隷であった一人の少女(2019年5月)

 今回は列王記下5:1~27を通してナアマンと一人の少女について学びたいと思います。ナアマンは「アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた」人物でした。その名の意味は「喜び」「心地よい」です。しかし彼の身に生じた重い皮膚病が彼の人生を喜べない、不快なものにしていました。誰の人

「母の愛に感謝して」

創世記では、神が美しい園を造り、アダムとエバを出会わせて家族となり、彼らの間に与えられる新しい命を祝福されました。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ』」(創世記1:28)。また十戒の中で神は子どもたちに対しお命じになりました。「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与

「主の業に励みなさい」

全ての福音書は主イエスの十字架上の死を記しています。しかしそこで筆を置かず、そのイエスを父なる神が復活させられたと告げているのです。復活がなければ十字架の死は愛に生き愛に死んだイエスの美しい美談で終わってしまいます。復活があるからこそ、イエスの死は意味のある死、即ち「神はおられる」という存在証明であ

「いかに幸いなことか」

詩編には「いかに幸いなことか」という言葉が実に24回も出てきます。代表的なものを挙げてみます。まず詩編1:1~2です。いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず/主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。詩編128:1にも出てきます

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