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「きみ、天国を知っているかね」

 河野進牧師の詩集『萬華鏡』に「口ぐせ」という詩があります。  きみ  天国を知っているかね  知りません  人をほめるところだ  地獄を知っているかね  知りません  人の悪口をいうところだ  賀川豊彦の口ぐせであった アンヌ・モレリの『戦争プロパガンダ10の法

巻頭言「夏の夜空を仰ぎつつ」

 60年以上も前のことです。私がまだ小学生だった頃、風呂上りに家族で夕涼みをしていました。教会堂裏口の石段は風の通り道で、そこに並んで座り、夜空を仰いでは「一番星見つけた!」「あっ、二番星!」などと言いながら過ごしたものです。 しばらくすると父が「アブラハムもきっとこんな風に夜空を仰いで星を

巻頭言「疲れ果てた者に安堵を」

 主イエスの目に当時の群衆はどのように見えたのでしょうか。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)。誇張ではなく彼らは「弱り果て、打ちひしがれて」おり、だから主はこう呼びかけられました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに

巻頭言「主に召された者として」

 私が献身について初めて考えたのは中学1年の時でした。それは憧れに似たものだったと思います。大人になって真剣に考えたのは大学2年の時でした。牧師であった父は、聖書の中に記されているモーセ、イザヤ、エレミヤ、そしてペトロやパウロなどの召命を読み、祈りつつ考えるようにと助言してくれました。この働きが決し

巻頭言「分かるということ」

 主イエスは多くのたとえを用いてお教えになり、こう尋ねられました。「あなたがたは、これらのことがみな分かったか」。それに対して弟子たちは「分かりました」と答えました(マタイ3:51)。弟子たちの心には福音の真理が分かった喜びが溢れていたのではないでしょうか。「分かる」ということは大きな喜びなのです。

巻頭言「立ち上がって神の国を建設しよう」

 主イエスの福音宣教は「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉で始まりました。「天の国」(神の国)とは死後の世界のことでしょうか。今生きている世界の混乱を放置し、私たちの関心を来世へと移そうとされたのでしょうか。 いいえ、神は私たちが生きているこの世界が無秩序のままでよいとは思われないでしょう

巻頭言「主イエス・キリストを伝えよう」

 福音宣教は主イエス・キリストから教会に託された大切な務めです。「伝道とは、他の問題に対処した後でゆとりがあれば行う、付け足しのようなものではない。むしろ教会の中心的なもの、教会のいのちを形作り、原動力となるものと見なすべきだ」(N・T・ライト『驚くべき希望』)。 新型コロナウイルス感染禍にあり

巻頭言「キリストと結ばれる人はだれでも」

 コリントの信徒への手紙Ⅱはパウロが紀元54年頃、エフェソで書いた手紙です。特に5:17は多くの人に愛唱されている有名な言葉です。  だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。   古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 パウロは十字架のキリストを救い主と信じ

「嘆きから賛美へ」

 かつて深い悲しみにあった人が、今大きな喜びの中にあるなら、私たちは、「かつて」と「今」の間できっと何か素晴らしい出来事を経験したに違いないと考えるのではないでしょうか。 ルカ福音書24章13節以降に記されているクレオパともう一人の弟子は「暗い顔」をしてエマオに向かっていたのです。その彼らの心が

「起き上がり小法師」

 キリスト教書評誌「本のひろば」に『起き上がり小法師』という絵本が紹介されていました。「こぼし」はこういう字を書くのだと初めて知り、読んでみたいと思いました。 自転車事故に遭い頭部外傷をうけた作者は、生死の境をさまよい、やがて目が覚めたのですが、話そうとしても言葉にならず、手を動かそうとしても動

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