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「新教会堂四周年を記念して」

新教会堂の起工式は2011年10月でした。建築中は西南学院大学のチャペルを使用させて頂き、主日毎に学院の宿直室に鍵を借りに行きました。おかげで顔なじみになり、今でも挨拶を交わしています。エアコンを作動させ、保管庫から聖書や讃美歌を出して受付に並べて礼拝を守り、12時になると急いで後片付けをしました。

自己奉献

ローマの信徒への手紙12:1で使徒パウロはこう言っています。こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。使徒パウロはローマ書1~11章でキリスト教信仰の本質を語り、12~

西南幼稚園創立63周年を祝して

宗教改革者マルティン・ルターは1525年6月にカタリア・フォン・ボラと結婚しました。彼は妻を愛し、「わたしは妻をフランスともベネチアとも取り替えたくない」と言いました。彼は妻を「ケーテ」と呼び、時には「わたしの肋骨」とも呼びました。これは神が一人の女性エバを造りアダムのもとに連れてこられた時、アダム

ルターの家庭

宗教改革者マルティン・ルターは1525年6月にカタリア・フォン・ボラと結婚しました。彼は妻を愛し、「わたしは妻をフランスともベネチアとも取り替えたくない」と言いました。彼は妻を「ケーテ」と呼び、時には「わたしの肋骨」とも呼びました。これは神が一人の女性エバを造りアダムのもとに連れてこられた時、アダム

「喜びの信仰」

聖書には「喜び」という言葉がたくさん出てきます。例えば「人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください」(詩編4:8)。聖書は喜びをもたらす書物です。宗教改革者ルターは『卓上語録』の中でこう言っています。「神はわたしたちが喜ぶのを願い、悲しむのを嫌う

「今、分かりました」

大貫隆先生は『聖書の読み方』の中で5つの提案しておられ、その第5は「即答を求めない。真の経験は遅れてやってくる」ということです。少し長いですが引用してみます。聖書がその力をもっとも発揮するのは、読者の常識に照らして違和感を呼び起こすところ、意味不明、異質で読みづらいと感じさせられるところなのであ

「福音の種を蒔き続けよう」

マルコ福音書4章には有名な「種を蒔く人」のたとえ話が記されています。一人の農夫が種を蒔きました。道に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は熱のために枯れ、茨の中に落ちた種は成長を妨げられました。しかし良い地に落ちた種は育って30倍、60倍、100倍という驚くほどの実を結んだというのです。マルコ

花の日に寄せて

今年81才の先輩牧師????高圀彦先生より句集『その時…』を頂きました。公務員から牧師へ。そして伝道・牧会の現場でのさまざまな経験を詠んでおられます。家族や教会員に対する愛が随所に溢れています。ここでは特にご子息吉高叶牧師(現日本バプテスト連盟常務理事)を詠んだ短歌をご紹介します。産まれくる名は

「芸術としての教会」

神学者ユルゲン・モルトマンは『新しいライフスタイル』の中でこう言っています。「キリスト者は芸術家です。そしてキリスト者の芸術は、キリスト者の生活なのです。神によって生きる者の芸術、神とともに、神のために生きる芸術です。わたしたちは『生の芸術家』なのであって、一人びとりは自分の生を一つの芸術として描く

聖霊を受けなさい

教会暦によると今日は聖霊降臨日です。主イエスの弟子たちに聖霊が与えられ、初代の教会が誕生し、宣教の働きが力強く始まったことを記念する日です。しかし今日聖霊派の教会を除く多くの教会で聖霊への関心が薄れているように思います。もちろん私は聖霊派のようになればいいと言っているわけではありません。私たちは

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