マタイ受難曲と私
「マタイ受難曲」は、バッハが亡くなった後しばらくは上演されず埋もれていました。当時の礼拝用音楽はそういうものだったようです。しかしその素晴らしさに気づき、再び演奏を試みたのはメンデルスゾーンでした。1829年、20才の彼はベルリンのコンサートホールで自ら指揮してこの曲を上演したのです。会場にはプロイ
主は十字架上で七つの言葉を語られました。第一の言葉(ルカ23:34) 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」第二の言葉(ルカ23:43) 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」第三の言葉(ヨハネ19:26~27) 「婦人よ
マルコ福音書は紀元七〇年代に最初に書かれた福音書、「詳細な導入部をもった受難物語」です。内容は大きく分けて一章一五節までは序論、九章まではガリラヤとその周辺の異邦人の地での活動、一〇章はエルサレムへの旅、その後にエルサレムでの受難と復活が記されています。著者は主イエスを取り巻く人々の心の動きを丁
主にあって愛する兄弟姉妹。代々の教会は我らの主の苦難と復活とを記念するこの期節を、深い献身の思いを込めて守ってきました。深い悔改めと祈りの時としてこれを守り、イースターに備えることが教会のならわしとなったのです。信仰に導かれた者が、キリストの体なる教会に加えられるためのバプテスマの準備の時として
私たちの教会は毎年二月の第一主日をバプテストデーとして守っています。この目的は、自たちの教派だけが正しいと主張するためではありません。バプテストの歴史や特徴を知り、そ上で他教派とより良い協力関係を築いて、共に主イエス・キリストのご栄光を表したいのです。N・H・メアリングとW・S・ハドソ ンの共著
神を信じるとは目の前にある すべての暗がりをとおして 先を見ることちょうどガラスごしに見るように 先を見るのだ ・・・信仰とは 聴くことでもあるいのちが 静けさのなかではるかな はるかな音として 聞こえてくるように 最期のとき 静けさのなかであの永遠の変わることのない
ヨハネ福音書15:15で主イエスは弟子たちにこう言われました。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。ユングの研究家河合隼雄氏の思い出です。彼がスイスのユング
山上で説教されました。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ六・二六、二八)。そよ風に乗って聞こえてくる主のみ言葉は、生きることに疲れ切った群衆の心に神の愛をはっきりと示し、大きな慰めと喜びをもたらしました。ドイツの神学者クリスチャン・メラーは『慰めの共