まことの友イエス・キリスト
ヨハネ福音書15:15で主イエスは弟子たちにこう言われました。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。ユングの研究家河合隼雄氏の思い出です。彼がスイスのユング
ヨハネ福音書15:15で主イエスは弟子たちにこう言われました。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。ユングの研究家河合隼雄氏の思い出です。彼がスイスのユング
山上で説教されました。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ六・二六、二八)。そよ風に乗って聞こえてくる主のみ言葉は、生きることに疲れ切った群衆の心に神の愛をはっきりと示し、大きな慰めと喜びをもたらしました。ドイツの神学者クリスチャン・メラーは『慰めの共
関西学院大学神学部に学んでいた頃、松木治三郎先生がよく語られた言葉を思い出します。それは「私たちの間に聖書がなければ私たちは悪魔の座に座る」という言葉で、『現代キリスト教問答』の序に記されています。ユダヤ教のもっとも重要な文書ミシュナーの中に、次のようにしるされている。「もし二人の間にトーラー・
この季節、私は平和に関する書物を読むことにしています。戦争を知らない私には、知る責任があると思うからです。渡部良三氏の『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』、長谷川儀神父の『八月六日の朝 ぼくは十四歳だった』、吉岡英二郎氏の『「焼き場に立つ少年」は何処へ』でした。今年はそれに絵本も加えました。
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する
福音書には多くの奇跡物語が記されています。若い頃は奇跡の記事に戸惑いを覚えたものですが、最近では反対に新鮮な興味を覚えるのです。様々な制限に幾重にも拘束されている現代、主イエスの時代に思いを馳せるとかえって解放されのびのびする気がするのです。当時の民衆も同じだったことでしょう。イエスが五千人以上
主イエスは「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と言われました。平和実現への働きはどこから始まるのでしょうか。私の中では主のこの教えが次の祈りとしっかり結びついています。今日なせる善を/仕える方法を/人を助ける言葉を/主よ、教えてください。間違ったことを