4月27日のみことば

「ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者、目くばせし、足で合図し、指さす者、心に暴言を隠し、悪を耕し、絶えずいさかいを起こさせる者、このような者には、突然、災いが襲いかかり、たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない。」(箴言6:12~15)

よく読むと、一連のつながりがあります。根源は心です。悪しき思いはそこから生じ、やがて口、目、足、手による悪しき行為となっていくのです。しかし神がこれを見ておられ、裁かれます。その審きは「突然」であり、その痛手は「癒す者はない」ほどです。実に恐ろしいことです。「しかし」と知恵の教師は言いたいのです。誠実に歩む者に対する神の絶大な守りと祝福を忘れないようにしたいものです。

4月28日のみことば

「主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いでいる足、欺いて発言する者、うそをつく証人、兄弟の間にいさかいを起こさせる者」(箴言6:16~19)

これらが私たちに向けられたらたまりません。私に向けて悪意が耕されている、あなたについて偽りの言葉が語られている、親しい関係にいさかいを起こそうと企んでいる…、実に嫌ですね。しかし安心してください。知恵の教師は、誰よりも神がそれを憎まれる、心の底からいとわれるというのです。それらは間違いなく神の審きの対象なのです。だから苦しんでいるあなたは安心していいのです。苦しめている者は神の審きを恐れるべきです。

4月26日のみことば

「怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまぬいて、また横になる。貧乏は盗賊のように、欠乏は盾を持つ者のように襲う」(箴言6:9~11)

知恵の教師は勤勉の貴さについて印象深い言葉で教えています。怠け者の手はいつになったら仕事の道具を持つのでしょうか。彼の足はいつになったら仕事の場所に向かうのでしょうか。貧しさはまるで盗賊のように気づかれぬようにそっと近づいてきます。欠乏は「盾を持つ者」すなわち都市を攻め滅ぼす軍団のようにやってくるのです。公生涯に入られる前、主イエスは大工の仕事をされました。「はたらきびとに主はいませり、われも日ごとの業をつとめん、いそしむ者のおるところに、はたらきびとの主もましまさん」(讃美歌369)。

4月27日のみことば

「ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者、目くばせし、足で合図し、指さす者、心に暴言を隠し、悪を耕し、絶えずいさかいを起こさせる者、このような者には、突然、災いが襲いかかり、たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない。」(箴言6:12~15)

よく読むと、一連のつながりがあります。根源は心です。悪しき思いはそこから生じ、やがて口、目、足、手による悪しき行為となっていくのです。しかし神がこれを見ておられ、裁かれます。その審きは「突然」であり、その痛手は「癒す者はない」ほどです。実に恐ろしいことです。「しかし」と知恵の教師は言いたいのです。誠実に歩む者に対する神の絶大な守りと祝福を忘れないようにしたいものです。

4月25日のみことば

「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」(箴言6:6)

知恵の教師は蟻の勤勉な生きざまに感動しています。だから蟻のところに行って、彼らの生きざまをしっかり見るようにと若者を促します。「蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが、夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める」と言い、彼らは小さいが「知恵者中の知恵者」とも言います。神が下さった一日を感謝し、今日神が求められている働きに喜んで当たりたいと思います。

4月26日のみことば

「怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまぬいて、また横になる。貧乏は盗賊のように、欠乏は盾を持つ者のように襲う」(箴言6:9~11)

知恵の教師は勤勉の貴さについて印象深い言葉で教えています。怠け者の手はいつになったら仕事の道具を持つのでしょうか。彼の足はいつになったら仕事の場所に向かうのでしょうか。貧しさはまるで盗賊のように気づかれぬようにそっと近づいてきます。欠乏は「盾を持つ者」すなわち都市を攻め滅ぼす軍団のようにやってくるのです。公生涯に入られる前、主イエスは大工の仕事をされました。「はたらきびとに主はいませり、われも日ごとの業をつとめん、いそしむ者のおるところに、はたらきびとの主もましまさん」(讃美歌369)。

4月24日のみことば

「わが子よ、もし友人の保証人となって、他国の者に手を打って誓い、あなたの口の言葉によって罠に陥り、あなたの口の言葉によって罠にかかったら、わが子よ、そのときはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから、行って足を踏み鳴らし、友人を責め立てよ」(箴言6:1~3)

私の祖父は印鑑を製作していましたので、印鑑の力をよく知っており、孫の私にも「書類に軽々しく実印を押してはいけない」と言っていました。私たちには人によく思われたいという願望があります。だが知恵の教師は軽率によく知らない人の保証人になることに警告を発しているのです。もし危機に陥ったら迅速で集中的な行動が大切であるとも教えています。しかしそうならないためには、何よりも日々祈りつつ熟慮することが大切なのです。

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