4月11日のみことば

子らよ、父の諭しを聞け。分別をわきまえるために、耳を傾けよ。わたしは幸いを説いているのだ。わたしの教えを捨ててはならない。(箴言4:1~2)

知恵の教師は自分を父親に、生徒を子らと呼び、愛をもって人生の知恵を伝えようとします。彼が語る知恵は彼自身も受けた確かな教えです。「幸いを説いている」、知恵の教えの目的はただ一つ、あなたが「幸い」になることです。「わたしの教えを捨ててはならない」、学びを終えたミッションスクール生たち、どうぞ聖書をたいせつに持っていてください。読んでください。きっと役に立つ言葉が見つかるから。

4月9日のみことば

「不法を行う者をうらやむな。その道を選ぶな。主は曲がった道をいとい、まっすぐな人と交わってくださる。」(箴言3:31~32)

「不法を行う者」がしばしば成功しているように見えます。神の教えなど無視して、自分の思いのままに生きた方が楽だし得なのではないか、とさえ思える時があります。しかし知恵の教師はきっぱり「うらやむな」と断言します。神が一切をご覧になっているし、神はまっすぐに生きようとする人に目を留め、親しく交わってくださるからです。知恵の教師は「主に逆らう者の家には主の呪いが、主に従う人の住みかには祝福がある」(同3:32)と言っています。

4月10日のみことば

「主は不遜な者を嘲り、へりくだる人に恵みを賜る。」(箴言3:34)

私たちの世界は神を否定する言葉で満ちています。最近ではリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』を書いて無神論的論客になりました。「信仰は非合理的である」「信仰は幼稚である」…。神を嘲笑するのです。しかし実は神ご自身がそのような人の言葉を嘲っておられると知恵の教師は言うのです。そして神は謙遜な人に恵みを豊かに賜るというのです。私は56年間キリスト者として歩んできて、「信仰を頂いて本当に良かった」と実感しています。

4月8日のみことば

「理由もなく他人と争うな。あなたに悪事をはたらいていないなら。」(箴言3:30)

人間関係は難しいものです。職場、友人、夫婦、親子の間で悩みがない人はおそらく一人もいないでしょう。知恵の教師は、相手があなたに悪意を耕していないなら、悪意をしかけてこないのなら争うなと教えます。しかし悪質な不法がなされるならば、毅然として自らの考えを述べる必要を知恵の教師は認めているのです。争わない時も、立ち上がらねばならない時も、永遠の審判者である神がご覧になっている、これこそ私たちの真の平安の源なのです。

4月9日のみことば

「不法を行う者をうらやむな。その道を選ぶな。主は曲がった道をいとい、まっすぐな人と交わってくださる。」(箴言3:31~32)

「不法を行う者」がしばしば成功しているように見えます。神の教えなど無視して、自分の思いのままに生きた方が楽だし得なのではないか、とさえ思える時があります。しかし知恵の教師はきっぱり「うらやむな」と断言します。神が一切をご覧になっているし、神はまっすぐに生きようとする人に目を留め、親しく交わってくださるからです。知恵の教師は「主に逆らう者の家には主の呪いが、主に従う人の住みかには祝福がある」(同3:32)と言っています。

4月7日のみことば

「友に対して悪意を耕すな/彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。」(箴言3:19)

知恵の教師は「耕す」という農業用語を用います。農夫は豊かな収穫を期待して大地を耕しますが、ここでは安心して住んでいる隣人の失敗を願いながら気づかれない仕方で耕す、つまり準備作業をするというのです。なんと嫌な態度でしょうか。私たちはそうであってはなりません。むしろ相手の幸せを心底願い、気づかれない仕方で祈り、そっと手助けする者でありたいと願います。神はそのような人をきっと祝福してくださいます。

4月8日のみことば

「理由もなく他人と争うな。あなたに悪事をはたらいていないなら。」(箴言3:30)

人間関係は難しいものです。職場、友人、夫婦、親子の間で悩みがない人はおそらく一人もいないでしょう。知恵の教師は、相手があなたに悪意を耕していないなら、悪意をしかけてこないのなら争うなと教えます。しかし悪質な不法がなされるならば、毅然として自らの考えを述べる必要を知恵の教師は認めているのです。争わない時も、立ち上がらねばならない時も、永遠の審判者である神がご覧になっている、これこそ私たちの真の平安の源なのです。

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