4月6日のみことば

「施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな/あなたが今持っているなら。」(箴言3:27~28)

貧しい人を覚え、必要な助力をすることを聖書の民は大事にしました。それは神が喜ばれることと考えました。時々、個人的にそんなことをしても世界の貧困は変わらない、国が組織的に考えるべきと言う声を耳にします。しかしマザー・テレサは「わたしたちのしていることは、大海の一滴にすぎません。ですが、やめてしまえば、大海は一滴分小さくなるのです」と言っています。

4月7日のみことば

「友に対して悪意を耕すな/彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。」(箴言3:19)

知恵の教師は「耕す」という農業用語を用います。農夫は豊かな収穫を期待して大地を耕しますが、ここでは安心して住んでいる隣人の失敗を願いながら気づかれない仕方で耕す、つまり準備作業をするというのです。なんと嫌な態度でしょうか。私たちはそうであってはなりません。むしろ相手の幸せを心底願い、気づかれない仕方で祈り、そっと手助けする者でありたいと願います。神はそのような人をきっと祝福してくださいます。

4月5日のみことば

わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。(箴言3:21~24)

「魂」「首」「足」「手」(3:27)と身体用語が出てきます。神からの知恵は私たちの全存在に深い関わりを持ちます。そして一日の歩みを導き、夜には心地よい眠りをもたらします。一日の歩みに満足して眠りにつくことができる人こそ本当に幸いな人だと思います。

4月6日のみことば

「施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな/あなたが今持っているなら。」(箴言3:27~28)

貧しい人を覚え、必要な助力をすることを聖書の民は大事にしました。それは神が喜ばれることと考えました。時々、個人的にそんなことをしても世界の貧困は変わらない、国が組織的に考えるべきと言う声を耳にします。しかしマザー・テレサは「わたしたちのしていることは、大海の一滴にすぎません。ですが、やめてしまえば、大海は一滴分小さくなるのです」と言っています。

4月4日のみことば

「知恵をとらえる人には、命の木となり、保つ人は幸いを得る。」(箴言3:18)

古代ローマの詩人アウソニウスは「まず着手せよ」と言い、詩人ホラーティウスは「事を始めた人は業績の半分を終えたことになる」と言いました。考えるだけで何もしない人には重要な言葉です。しかし熟考しないでいきなり行動してしまうくせのある人には危険な言葉です。私たちは聖書と祈りに導かれ、熟考し、決断し、着手したことは最後まで継続したいものです。

4月5日のみことば

わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。(箴言3:21~24)

「魂」「首」「足」「手」(3:27)と身体用語が出てきます。神からの知恵は私たちの全存在に深い関わりを持ちます。そして一日の歩みを導き、夜には心地よい眠りをもたらします。一日の歩みに満足して眠りにつくことができる人こそ本当に幸いな人だと思います。

4月3日のみことば

「右の手には長寿を/左の手には富と名誉を持っている。彼女の道は喜ばしく/平和のうちにたどって行くことができる。」(箴言3:16~17)

熟練した山岳ガイドに案内される登山はきっと安全でしょう。同様に神の知恵に導かれるなら、人生は「歓喜の道」「平和の道」であり、そこには長寿、富、名誉があると言います。今日もその道をご一緒に歩んで行きましょう。

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